厚真町といえば、2019年の北海道胆振東部地震での被害が記憶に新しいが、もともと町内を貫く厚真川の氾濫に手を焼いてきた地域でもあった。内陸部にある町の中心街に近い場所に「厚真川改修記念碑」と「開基七十周年 振内用水組合」の碑がある。
碑の裏側にある碑文。
「この地域は葦茂る一面の湿地帯であったが明治初期 先人達によって開拓の鍬がおろされ言語に絶する苦難の農業経営が始められた 先人達は灌漑用水の開設によって地域の農業が一大飛躍することに着目し明治三十八年十月組合長岡部福太郎氏ほか三十九名によって振内灌漑用水組合が設立されただちに北海道廳に用水路の開設方の強力な請願が続けられたが翌年二月北海道廳長官男爵園田安賢氏により同開設の許可書が交付され 直ちに井上歌治を請負人として契約がなされ五年の歳月を費やして明治四十二年全用水路が完成し受益面積三百余町歩となり現在のこの地域の農業の基礎が出来上ったのである 大正二年厚真川の大洪水により市街地は勿論のこと農家の流出も数多く農地も一瞬にして泥沼と化しこの年大凶作に見舞はれ農業経営は苦難の道にたたされたのである その後もしばしば洪水に見舞われ全村民の悲願であった厚真川改修工事が昭和十一年に始められ昭和十八年に完成されたのである 昭和十八年この工事完成後組合は厚真土功組合に加入 同二十七年土功組合が解散厚真村土地改良区と改組され振内灌漑用水組合は第六区と改稱したのである 昭和三十七年国営かんぱい事業着工同四十四年に頭首工 同四十六年に厚真ダム完成続いて同年四月六区幹線水路パイロット合併受益面積六百六十町歩となる この工事と併せ進められていた支線延長五千米は組合所有地を売却し総工費壱千六百万円を投じ昭和四十九年に完成を見たのである
ここに先人の偉業を讃え組合創立七十周年を記念してこの碑を建立したものである
昭和四十九年九月吉日」