オロロンラインは遠い。「もうひとつの「留萌線」を歩く」で留萌までは到達したが、その先、旧JR羽幌線の代替バスが140 kmあまりにわたって運行を続けている。ここを何とか歩きたいと思っていたが、2026年3月にJR留萌本線が廃止されてからは、留萌に行くにもバスに乗るしかなくなった。歩くにしてもまず日帰りでは難しいだろう。手始めに車でドロップオフ・ピックアップと一泊を併用して、一部区間を歩いてみることにした。
第1日
2026年9月22日、スタート地点は沿岸バス 上平古丹別線の「古丹別ターミナル」。もとはJR羽幌線・古丹別駅のあった場所である。
古丹別ターミナル (09/22/2026) – 他のバス路線はない。
古丹別の名前はアイヌ語の「コタン(集落)・ペッ(川)」に由来するのだそうだ。1896年に三重県からの入植者を中心に開拓が始まった。これより先、1884年には藤田万助が初めて稲の収穫に成功している。さらには内陸開墾地への物流・行政の基盤集落としての性格もあったという。この地域の集落がほとんどすべて江戸-明治期のニシン漁に起源をもっているのに対して、農業・内陸交通を主とする独特の起源をもっていると言える。
古丹別市街 (09/22/2026)
古丹別神社の由来は開拓の始まった1986年にさかのぼる。沿岸部の港町に見られるような「漁りの無事や海洋安全」を願う神社ではなく、「開拓の守護と豊作祈願」を原点として誕生・発展してきた。
古丹別神社 (09/22/2026)
神社に掲示されている「由緒」によると、
明治29年、現古丹別地域に三重県から移住した伊曽島団体25戸と単独で10戸(単独組という)の開拓入植があったが、同年9月単独組の手によって天照大御神が東方山地(通称上牧山)に祀られた。
伊曽島団体も郷里の八起神社の祭神と稲荷神社を伊藤軍治郎の土地に奉祀した。大正2年両社は合併され、社殿も旧競馬場付近、藤田重太郎裏地、営林署横地へと移転を重ね現在地に落ち着いた。人口の増加と共に神職いよる祭式を求める者も増え、昭和43年宗教法人の手続きを済ませた。
百年記念碑 (09/22/2026) – 神社境内にある。
碑文。
古丹別は、明治二十九年五月一日、三重県桑名郡伊曽島村、木曽岬村の伊曽島団体と、単独組と称する入植者によって、開拓の斧を、打ち下ろされたのが始まりである。当時は、鬱蒼たる樹林、丈余の熊笹の繁茂、熊狐咆哮する原野に、笹茸の小屋を建て、栗や黍の粗食に耐えながら、巨木を倒し、未開の地を切り開いた入植者の苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったと思われる。ここ、古丹別は、古丹別川と三毛別川の合流地点で、その地の利と、地味肥沃なことから、周辺農家が年々増え、さらに、昭和六年の鉄道開通によって商工業も進展し、市街地形成が進み、産業、経済の中心地として古丹別市街は急速な発展を見るに至った。
爾来、ここは百年の歳月を経た今、我々がこの地に、豊かな恵みを受け生活出来る幸せは、先人の築いた尊い苦労の賜であり、ここに偉大なる足跡を偲びつつ深甚なる感謝の意を表し、この碑を建立する。
頌徳碑 (09/22/2026)
碑文。
この碑は昭和六年八月に、古丹別の有志が両氏の鉄道の敷設並びに古丹別の発展に尽くした功績を讃えるために建てたものであるが、老朽化したため、古丹別開基百年を機に記念事業としてあらたにこれを建立する
三毛別川にかかる橋を渡って、古丹別集落を出る。
霊厳寺 (09/22/2026)
次の「長島」は三重県出身者、「香川」は香川県出身者の開拓。上平分岐点にて海に到達する。上平川尻に立寄り反転して古丹別川を渡る。
古丹別川 (09/22/2026)
古丹別川 (09/22/2026)
少し進むと「苫前町水田発祥の地」がある。
09/22/2026 – 苫前町は三毛別ヒグマ事件を観光名所としているので、ヒグマのイラストがあちこちにある。別に不謹慎とは思わない。辺境で、人は死ぬのである。
故藤田萬助君盛岡仙北町父日貞藏世業農君其第二子安政二年歳三十四辭郷来北海道為漁戸役夫有年流離輾轉備嘗艱苦嘗過苫前古丹別相其地適稼穡謂可成以吾志矣乃披荊蕀結茅舎鎜溝渠闢町畦播菽麥䔫菜居数年荘内藩置成君為建屯田策明治初年水戸藩代成君又助之有功藩賞以米七斗者三年欲開水田拮据経営明治十七年始播稲而不登試之数年或熟或否至七種子二十二年戸長恩田昌章其篤志為購給焉此歳大稔益拓田産業始成自是移民年加多至五百餘戸苫前致富庻君之力也二十八年十二月二十日病歿歳七十四三十三年官追賞其功労賜銀杯?表焉嗚呼君可謂堅忍不抜能有成功者也今茲四十年以當十三年祭村人相謀醵金建碑不朽其事徴余文余為叙梗概孫以銘曰
投熊羆窟拓?莽揚原田毎毎禾稼穣塩獄?㠔丹流洸洋創業
功大遺徳名芳
ということで、これが佐藤昌介男爵の文であることがわかる。軍人優位の世の中で、男爵として学者として、将官の前でも下馬しなかった人物と聞いている。
道の駅・苫前まで歩いて車でピックアップしてもらう。今日は、はぼろ温泉サンセットプラザに泊まる。
客室から夕陽を見る。 (09/22/2026)
第2日
翌日は、羽幌から北上、初山別村に少し入った有明集落から歩き始める。モチクベツ川を渡る。
09/23/2026
右側に日本海を見ながら南下する。
09/23/2026
09/23/2026 – 近くに「有明高台」という停留所があるように、高台が続く。
09/23/2026
築別川を渡ると羽幌である。
09/23/2026 – 河口が見える。
09/23/2026
09/23/2026 – 草原が広がる。
築別はかつて羽幌炭鉱への入口として賑わった集落で、羽幌線の駅から羽幌炭礦鉄道が山に向かって伸びていた。
ここが築別駅跡だというが。。。 (09/23/2026)
築別郵便局 (09/23/2026)
巨大なオロロン鳥モニュメントのそばに「汐見地蔵尊」がある。
09/23/2026
汐見地蔵堂に祀られている「延命地蔵菩薩尊像」は蝦夷地の開拓や漁場が開発され、帆前船が盛んに往来した明治の中期に本州から渡って来たもので海上交通の安全と乗組員の無事を祈願する為、帆前船に祀られていた。この地蔵尊をニカルスナイ(汐見)の住民が譲り受け長生きを祈願する地蔵尊としてお堂を建て安置した。地蔵菩薩は石像が多いがこの地蔵尊は木彫像であり、作者は沙門玄嶺と銘が彫りこまれている。汐見地区の人達の地蔵尊に対する信仰は厚く老朽化の著しい地蔵堂と併せて地蔵尊の修復を行い交通安全海上安全商売繁盛の守護尊とし、平成四年十二月、この地に建立した。
地蔵堂内にある、昭和十二年の写真。 (09/23/2026)
光洋小学校は1958年開校、2001年閉校。「元光洋小学校前」というバス停がある。
09/23/2026
09/23/2026
09/23/2026
羽幌には風車が多い。いや、留萌も含めてオロロンライン全体に風車がある。日本海の風は強い。
風車群 (09/23/2026)
汐見地区の草原 (09/23/2026)
羽幌川を渡って羽幌市街に入る。
09/23/2026
09/23/2026
昨日の宿、はぼろ温泉サンセットプラザに戻る。
羽幌川の支流の河口 (09/23/2026)
羽幌市街 (09/23/2026)
旧上羽幌小学校の建物が市街地に移築されている。
09/23/2026
案内板に書かれている歴史。
1906 羽幌御料第一簡易教育所として開校
1047 上羽幌港開港
1951 上羽幌中学校が併設され上羽幌小中学校となる
1961 上羽幌小・中学校体育館が建設される
1970 羽幌炭鉱閉山
1971 上羽幌小・中学校へ移行
1972 上羽幌小・中学校体育館が移設される
羽幌駅跡には沿岸バスの羽幌ターミナルがあり、公園となっている。
羽幌駅跡 (09/23/2026)
羽幌神社の由来は北海道神社庁のホームページに詳しいので、そのまま引用する。
「明治19年頃わずか漁民10数名が羽幌に来て漁業を営んでおり、その漁場内に一小社を建て稲荷大明神を祀っていた。その後漁場の発展とともに移住者が増加したが、いまだ鎮護の神として崇める社祠がなく、この小社を氏神に代えていた。さらに明治22年頃住民が協議して社殿を建築し毎年祭事を行っていたが、明治30年苫前村より分離して羽幌戸長役場が設置されると神社確立を要望する声が高まり、明治33年頃南大通6丁目に移転し、翌34年無格社羽幌神社と社号公称する。明治38年4月社殿改築落成。明治42年1級町村制と同時に境内整備。明治43年6月25日村社に列せられる。大正6年9月神殿を再改築と境内地拡張し、大正12年5月30日郷社に昇格する。昭和40年6月本殿新築、拝殿の移転改築、社務所新築境内整備を完了した」
09/23/2026
09/23/2026
蒔田余吉は、明治二十六年八月、石川県松任町に生まれ、同四十三年四月羽幌に移住、昭和六年羽幌町産業組合農事、同九年組合長に就任以来、農業会長、農業協同組合長、農業共済組合長、土地改良区理事長として、羽幌町農業の発展に尽力され、町議員、農業委員等をも歴任し、昭和十五年八月より、北海道議会議員として二十七年の長期にわたり道政に参画、此の間食料対策、経済綜合開発名常任委員長等の重績を果たし、特に昭和三十年より四年間は、道議会議長の栄職を全うし、尽疩された功績は、藍綬褒章、勲四等瑞宝章と二度にわたる受章叙勲の栄誉に浴し、その偉大な足跡を残し、今春道議勇退を機に管内市町村長、各市町村議会議長並びに農業関係諸団体及び羽幌町農業協同組合員の総意により、胸像を建立し、輝かしい功績を永久に讃えんとするものである。
09/23/2026
09/23/2026
09/23/2026
羽幌神社を過ぎると羽幌市街もだいたい尽きてくる。
大国主命が祀られている (09/23/2026)
興津内上の海岸 (09/23/2026)
畑地にある小さなコンクリート橋 (09/23/2026)
ヤオシルスナイ川を渡る。
09/23/2026
昨日のピックアップ・ポイント、道の駅苫前で拾ってもらい、無事に帰ることができた。