「月形から江別へ」

月形駅前と江別駅前を結ぶニューしのつバス 江別・月形線は、江別市街をのぞいて、ほぼ全線で農村地帯を走る。
同じような風景と同じような道が続き、バス停はしばしば路外に転落したりして見落としがち、また農村の一区画は広く、道を間違うと戻るのが面倒である。
道中、コンビニなどもほとんどない。

路線の大半を占めるのは「新篠津村」。
「篠津運河」をはじめ、石狩川水系における数々の治水工事により、月形、新篠津、江別にわたる広大な泥炭地が農村に生まれ変わった。
北海道開発局のサイトに「石狩川頭首工」「篠津運河水門」などが紹介されているし、
土木学会のサイトには、水路の概要を記述した論文がある。

月形揚水機場
美原(新篠津村)揚水機場
南美原(江別)排水機場
南美原(江別)揚水機場

月形市街を出ると、「南耕地」にて国道275号線からはずれる。この地区には「篠津山囚人墓地」がある。
次は「月浜」地区。観月にはあまり向いていないと思ったが、「月形歴史物語」では、1945年8月3日、「空襲で横浜を焼け出された人びとが入植し」「月形と横浜を合わせて」名付けたのだそうだ。
「昭栄」地区には、「昭栄小学校」の跡がある。1951年月形小学校「月浜分校」として開校、のちに「篠津分校」となり、1956年に「昭栄小学校」、2004年廃校(月形町の年表による)。
さらに進むと「村界」停留所があり、新篠津村に入る。

昭栄小学校跡 (06/19/2021)
昭栄小学校跡 (06/19/2021)
昭栄小学校跡 (06/19/2021)

新篠津村の母村は、江別市の篠津屯田である。
東西に走る道路は「北○号」(または「南○号」)、つまり緯線、南北は「○線」で経線となっており、バス停もこれらの名前がついていることが多い。
「北14号」から「北3号」まで下ると新篠津市街、しばらく歩くと市街地のはずれ、「浄楽寺」。ここがニューしのつバス 当別線との分岐点である。

浄楽寺 (06/26/2021)

次の「第3集落センター」は、旧「新篠津村立新篠津第三小学校」。1978年に第一小学校・第三小学校・第四小学校・第五小学校・新篠津小学校が合併して「新篠津小学校」となっている。

06/13/2021

ここから先、「39線」「38線」「35線」「34線」「31線」という停留所が続くが、なんと同じ名前が当別線でも使われている。「○線」は経線、つまり数キロ北側を同じように東西に走っているのである。「南○号○線」と親切にはやってはくれない。

いよいよ江別市・美原に入る。開基100年の碑がある。

06/13/2021

石狩大橋を渡り、市街地へ。

06/13/2021
06/13/2021

江別駅に向かって歩くと、ニューしのつバス「第3小学校」、中央バス「第1小学校前」が同居しているところに出くわす。もともと「江別小学校」と「第3小学校」があり、2016年、両者を統合して「第3小学校」のそばに新たに「第1小学校」を建てた。中央バスのほうは停留所名を変更したがニューしのつバスは放置しているのだろう。

江別駅付近は鉄道と水運が交差する交通の要所だったが、今は静かである。もともと月形-江別間の水運は、1902年、北海道庁により「命令航路」に指定され、補助金で運営されるほど重要なものだった(北海道開発局)。他方、江別と当別の間には1927年に「江当軌道」が開業。1930年には江別市野幌と栗山との間に「夕張鉄道」ができていた。現在、水運・鉄道はすでになく、月形へはニューしのつバス、夕張へは夕鉄バスが走る。「江当軌道」は1936年に早々に廃止されたが、中央バスが代替。その後、札幌第一観光バス⇒下段モータースと事業者は移ったが、最終的に2016年に廃止されている

江別駅付近 (6/12/2021)