「白石開拓記念碑」

中央バス・白23 北郷線に、この名前の停留所がある。
すぐそばに「開拓記念碑」「白石開基百年記念 北海道知事 町村金吾」と書かれた碑が建っている。
曰く、

 この地の開拓は昭和二十年東京都からの
拓北農兵隊五戸の入植にはじまる。
 翌二十一年逼迫する食糧事情のため疎開
者引揚者等多数来住し第一開拓促進組合を
結成、一致団結本格的な開発が進められた。
当時この地は茅葦が密生する泥炭湿地帯に
加えたび重なる冷水害発生等の劣悪なる立
地条件であったが、それに屈することなく開
拓者精神によって想像することもでき得な
かった今日の大地をきずきあげたのである。
 昭和二十八年有志一同により記念碑を建
立する予定であったが打ち続く天災さらに
は用地事情等延伸を余儀なくされた。
 幸い今日関係者の絶大なるご配慮によっ
て建立のはこびとなり、ここにこの開拓者精
神の継承を祈念するとともに輝かしい未来
創造を期待しここに開拓記念碑を建立する。
昭和四十五年十月一日

(句読点も碑文のまま)

石碑本体の建立月日は空白となっているが、これは建立が延期されたことによるものという(「歴史のあしあと 札幌の碑」)。

「拓北農兵隊」とは、敗戦間近の1945年7月に、戦災で焼け出された人々に道内各地の開拓を行わせようとしたもの。
「えぞめぐり」というサイトによると、17000人あまりの移住者がいたが、終戦とともに多くは去っていったようだ。
まあ、「来たれ、沃土北海道へ」と言われて一面の泥炭地を見せられたのでは、ビックリしても無理はない。

白石村自体の始まりは、1871年、仙台藩の白石城主・片倉小十郎の家臣の人々の移住に始まる(白石区のサイト)。

04/11/2021