その昔、鹿追には河西鉄道、北海道拓殖鉄道、十勝鉄道といった鉄道が走っていた。これらの路線網については、熊本大学の研究などに詳しいが、長い間おおむね放置されていたに等しい。しかし、最近になって鉄道遺跡の発掘・観光地化が進んでいるようである。
この交差地点に関しては、故・堀淳一氏の手による「北海道 鉄道跡を紀行する」(1991)において紹介されて久しい。その232ページに掲載されている当時の様子は、こんな感じだったようだ。
「暗鬱な切り通しの中に押しだまってぬうっと立つ、真っ黒に煤けた石の柱の列。そこから襲ってくる、背筋を震わせる鬼気-」「どっしりとどす黒く腰を据えている橋脚と橋台は、あちこちから覗いてこちらを窺っている妖怪変化どもの大棟梁か」と描写されているのであった。
現在、鹿追は豊かな農村であり、観光地としても勢いを増している感じがする。この交差地点も大きな公園の一部となっており、地元の人たちがBBQをしていたり作業員の方々が精力的に草刈りをしていたりするのだった。