ボストンの隣にある人口118,000人の市。世帯年収は中央値で$121,000 (2022)くらいだが、地域により差が大きい。Harvard、MITを擁し、多くの留学生が在住。地下鉄Red LineのKendall、Central、Harvardの駅があり、多くのバス便が走る。East CambridgeやCambridgeportなど、独自の歴史を有する地域もある。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Harvard Yard Historic District
誰もが訪れる観光地であり、地元では公園のようにも使われるHarvard Yard。Sever Hall、University Hall、Massachusetts Hallの他にも多くの古い建築を擁する。
Austin Hall
1882-4年に建てられたRomanesque Revival styleの施設。Harvard Law Schoolの最初の建物であった。
Memorial Hall
1870-7年にかけて建てられたHigh Victorian Gothic styleの施設。Civil Warで戦死したHarvard関係者を偲んで、卒業生たちが資金を募って建設した。内部にSanders Theatreがあり、コンサート会場などとして使用される。
Massachusetts Hall
HarvardのPesidentであったJohn LeverettとBenjamin Wadsworthにより1718-20に建てられた学生寮。John Adams、John Hancock、Samuel Adams、Elbridge Gerry、James Otis Jr.の建国の父たち(Founding Farthers)を含む多くの人物がここに住んでいた。
University Hall
1813-15年にかけて建てられたHarvardの施設。Charles Bulfinchの設計、Loammi Baldwin Jr.の建築。1969年4月、ヴェトナム戦争に反対する学生たちに占拠されたことでも知られる。
Sever Hall
1878-1880年にかけて建てられたHarvardの施設。Henry Hobson Richardsonの設計。Anne Severが亡夫James Warren Severを記念するために寄付したもの。
Harvard Square Historic District
Central Squareとともに街でもっとも賑わっている場所の一つ。Brattle Hallなど歴史的な建物も多い。
Harvard Square Subway Kiosk
1928年にできたHarvard Square Stationのキオスク。私が2017年に去った時には新聞などを売っていたが、2022年に戻ってくるとリノベーションが続いている状況になっていた。
Almshouse
1850年、Gridley J. F. Bryantらによって設計されたGreek Revival styleの救貧院。現在はInternational School of Bostonとなっている。
Alewife Brook Parkway
Fresh Pondエリア(rotaryの場所)からAlewife Brookエリアを経てMystic River Parkwatに至る道。Route 16としてMass Aveと交差する。この道路のいったい何が面白いのかわからないが、1916年に完成したとのことである。
Cambridge Home for the Aged and Infirm
1928年にできた老人・回復不能患者のための居住施設。Fresh Pond Mallの近くにある。
Hiram Sands House
1848年に建てられたGreek Revival styleの家。3代続いたレンガ製造業者の2代目により、近くで掘り出された土でつくられたレンガが用いられている。
The Stanstead
1887年に建てられたRichardsonian Romanesque styleのアパートメントで、The Jarvisを設計したJ. R. およびW. P. Richardsによりデザインされている。
Old Cambridge Baptist Church
1869年に建てられたGothic Revival styleの教会。Alexander Rice Estyにより設計された。もともとは1844年にFirst Baptist Churchのメンバーの一部が新しい教会をつくろうとし、のちのNorth Avenue Congregational Churchの場所に集会所を開いていた。その後1869年にこの教会が完成して移転したという。
Ware Hall
1893年に建てられたClassical Revival styleのアパートメント。Harvardの学生が住む場所としてはもっとも高級なもののひとつであった。
River Street Firehouse
1890年に完成したQueen Anne styleの消防署である。
Memorial Drive Apartments Historic District
この歴史地区には4棟のアパートが建っている。いずれも1916-24に建てられたもの。これらは3人の建築家により別々に設計されている。
Conventual Church of St. Mary and St. John
1936年にRalph Adams Cramの設計により建てられたRomanesque Revival styleの教会。CramはフランスのBurgundy地域にある教会を再現しようとしたという。
B B Chemical Company
1937年、Coolidge, Shepley, Bulfinch & Abbott事務所の設計により、United Shoe Machinery Corporationの子会社B B Chemical Companyのために建てられた。この会社は「革靴、航空機、ゴム製の服、造船工業のための接着剤および関連製品」(1946年の説明)を製造供給していた。1979年からはPolaroidの本社ビルとなり、現在はHarvard University’s Information Technology groupが使用している。
Fort Washington
ここは1775年11月、George Washingtonの司令により、大陸軍兵士の手によって要塞化された。Revolutionary War、ボストン包囲戦を経て残っている唯一の要塞跡である。
Central Square Historic District
学生を含めて多くの人間の集まる街Central Square。イギリス系移民の入植から始まり、19世紀にはアイルランド系移民、ついで他のヨーロッパ移民、西インド、南米、アフリカからの移民が続いた。古い建物も多く、First Baptist Church、Christ the King Presbyterian Church、African Methodist Episcopal Churchなどがこの地区にある。
Christ the King Presbyterian Church
もとはProspect Congregational Churchとして知られていた教会。Alexander Rice Estyの設計により1851年に建てられた。Central Squareに近く、Wholefoodsの隣。
Fresh Pond Hotel
1796年、Jacob Wyethにより建てられた。彼は父からFresh Pond近傍の土地を買い、Fresh Pond Hotelを開業。成功した彼は、1840年頃に甥のJonas Wyethに事業を譲り引退、その後93歳まで生きた。
Elmwood
1767年頃、Massachusetts植民地の副知事であったThomas Oliver(1734–1815)がJohn Nuttingに依頼して建てたGeorgian styleの家。もとは100エーカーもの敷地を誇った。彼はRevolutionary Warでイギリス側に残ったため去ることとなり、ついでFounding Fathersの一人Elbridge Gerry(1744–1814)が1814年に死ぬまで住んだ。1818年、ボストンの名族Lowell familyの一人で牧師のCharles Lowell(1782-1861)が購入、詩人・外交官として活躍したJames Russell Lowellはここで生まれ、生涯の多くをここで過ごした。1920年、Harvardの考古学者Arthur Kingsley Porter(1883–1933、インディ・ジョーンズのような生涯を送ったといわれる)が購入、その妻の死後は、Franklin Lewis Ford、Derek BokらHarvardの学長の公宅として使われている。
Hubbard Park Historic District
このエリアはGardiner Greene Hubbard (1822-97)の所有地であったが、彼は1880年代に自分の邸宅(現在はHubbard Park)の周りに高級住宅を建設させ、この地区が形成された。
Homer-Lovell House
1867年建築のSecond Empire styleの家。当時、Porter Square駅ができたことにより、このあたりにも住宅開発の波が押し寄せていた。1920年代には2家族用に拡張されている。
St. John the Evangelist Church
1904年に建てられたローマカトリック教会。Maginnis, Walsh and Sullivan事務所による建築で、アイルランド移民が多く作業に従事していた。12世紀のLombardo-Romanesque様式に則って設計されており、イタリアのVeronaにあるBasilica of San Zenoに似ているとされる。
Abraham Watson House
1750年頃、Revolutionary Warの時期に政治活動をしていたAbraham Watson Jrにより建てられた家。植民地時代の家屋は、ここを含めてNorth Cambridgeには2軒しかない。
Wyeth Brickyard Superintendent’s House
1848年頃、レンガ製造業者Nathaniel Wyethが現場監督のために建てたもの。
氷河の後退とともに、広大な粘土層がFresh Pondの境界の湿原の下に残った。Harvard SquareたEast Cambridgeでは小規模な採掘がおこなわれ、地元の建設業者に利用されたが、1840年代にはBostonで新しい住宅の需要が高まり、また大半の木造建築を違法とする厳格な法律により、耐火性の建築材料の市場が大きくなった。同じころ、アイルランドからの移民が労働力を提供していた。
1844年、数人のNorth Cambridgeの農民が、レンガ製造業者に土地を売ったり貸したりし、アイルランド人労働者が粘土の採掘のため雇用された。North Cambridgeでのレンガ製造により、まもなく泥まみれの粘土採掘抗、煙でいっぱいの窯、大きな乾燥小屋といった光景が生み出された。粘土のある土地はWalden St、Huron AveからRinge Ave、Alewife Brookまで広がっていた。この湿気の多い土地では地下室をつくることはできず、洪水も頻繁にあったため、移民たちは地下室を高くした家をつくり、いまでもこのエリアの特徴となっている。のちにフランス系カナダ人とイタリア人がアイルランド人に代わってレンガ製造業で働き、自分たちの痕跡を地域に残している。
Sands一家はCambridgeのレンガ工業をほぼ1世紀にわたり支配した。1830年代にIvory SandsはEast CambridgeのMiller’s Riverに近い粘土採掘場で働き、1839年頃にInman Squareに近い145 Elm Stに今も残る家を建てた(Ivory Sands House)。1840年代にはHiram SandsはFlagg Stに近いCharles Riverに新しく採掘抗を開き、1848年に22 Putnam Aveにレンガ造りの家を建てた(Hiram Sands House)。John Sandsは1845年、Garden Stから外れたところにある古い採掘抗を買い取り会社を設立したが、この会社は1900年に他のCambridgeの製造業者と合併してNew England Brick Companbyとなっている。
1956年に最後の工場が閉鎖されるまで、レンガ製造業はBoston市街の外側にある工業地域としてのNorth Cambridgeの確立に寄与した。いくつかの採掘抗は開発のために埋め立てられたが、他にはRussell FIeld、Raymond Field、St. Peter’s FIeld、Danehy Parkのように公園となったものもある。今日、このかつて有名だったCambridgeのレンガ工業のもっとも明確な証拠として、Bostonのレンガ歩道があり、ここのレンガにはNew England Brick Companyを示すNEBCoの刻印がしばしばみられる。
Walden Street Cattle Pass
19世紀半ば、地域内の高規格道路がいくつかPoter Squareで交差していた。1760年代にできたDavenport Tavernは、Bostonに向かう牛追いや農民に人気があり、Concord Road (現在のMassachusetts Ave)には、牛市場のための飼料場ができた。
Vermont人のSyvester Edsonは、このような場所を買い取り、1833年に食肉処理場とホテルを建てた。1837年、Zachariah PoterによりPorter’s Cattle Market Hotelと名付けられたこのホテルは、Davenport TavenrにかわりNorth Cambridgeの地域生活の中心となった。Poter Squareはこのホテルから名づけられたものであり、あたりでは新鮮な牛肉が提供されて”Poterhouse Steak”として広く知られた。
牛市場は1843年のFitchburg鉄道路線の完成により便を得た。鉄道はさらに郊外の開発を促進したが、移住者たちは1868年に食肉処理場を閉鎖させた。牛市場は、1871年に土地がCreighton StとRegent Stによって住宅地に分割されるまで存続し、ホテルは1909年、商店街への道をつけるために壊された。しかし牛取引のための通行路は1920年代まで存続し、牛はここで降ろされMassachusetts Aveを経て、Harvard Squareを抜け川向うのBrighton Abattoirまで運ばれた。
今日、唯一残っている牛市場の痕跡は、Walden Stの牛の道(Cattle Pass)で、これはこの橋(Walden StがFitchburg Lineを越える橋にこの看板がある)の下にあるレンガ造りのトンネルである。Walden Stが資料場を横切って敷設されたときに、このアンダーパスのおかげで輸送車の列から降ろされた牛たちは、街の道路を横切らずに済んだのである。
Avon Hill Historic District
このエリアは17-19世紀半ばまで農地であったが、1869年にHenry MelendezとGilbert Dexterという事業者が土地を買い取り、宅地開発が始まった。ほとんどの家は1900年以前に建てられている。
Second Cambridge Savings Bank Building
1897年に建てられたRenaissance styleの建物。Harvard Squareの中心部にある第一次世界大戦前の代表的建築とされる。
Porcellian Club
Harvardの学生をメンバーとするPorcellian Clubのクラブハウス。Theodore Rooseveltが所属していたことでも知られる。
Berkeley Street Historic District
このあたりの家は1852-72年に建てられ、Italianate styleやSecond Empire styleの建物が多い。
Bertram Hall
1901年、Alexander Wadsworth Longfellow Jr (Henry Wadsworth Longfellowの甥)の設計により建てられた。Radcliffe Collegeの最初の学生寮。Georgian Revival style。Grace Hopkinson Eliot Hallの隣。
Grace Hopkinson Eliot Hall
1907年、Alexander Wadsworth Longfellow Jr (Henry Wadsworth Longfellowの甥)の設計により建てられた。Radcliffe Collegeにあり、同じ設計者によるBertram Hallとほぼ同じ構造。Grace Hopkinson EliotはHarvardの学長だったCharles William Eliotの妻。現在は大学寮として使われている。Georgian Revival style。
Clifton Merriman Post Office Building
1933年の建築。Central Squareにある巨大な郵便局。Clifton MerrimanはAfrican Americanで第一次世界大戦時の軍人であり、のちにCambridge郵便局の局長補佐となった人物。
Odd Fellows Hall
1884年、Independent Order of Odd Fellows(一種の国際友愛団体)のメンバーたちによって建てられた。
Norfolk Street Historic District
19世紀に開発された住宅地で、Greek Revival styleの建物が多く残る。
Urban Rowhouse
Central Squareの近くにあるアパートメント群で、19世紀後半に建てられた。
Shell Oil Company “Spectacular” Sign
この看板は、もともと1933年にボストンに建てられたが、1944年に現在地に移設された。
First Baptist Church
1881年に建設されたGothic styleの教会で、Hartwell and Richardsonの設計。Central Squareのランドマークの一つ。
Upper Magazine Street Historic District
Cambridgeportに近いエリアで19世紀半ばに住宅街となった。
Valentine Soap Workers Cottages
1828年、Charles ValentineはCambridgeportにて石鹸製造工場を設立。この住宅は1835年に工場労働者のために建設された。
F. A. Kennedy Steam Bakery
ビスケット、クッキーなどをつくっていた工場で、1875年に建設された。現在はアパートメント。
New England Confectionery Company Factory
1901年、いくつかの製菓企業が合併してできたNew England Confectionary Company (NECCO)の工場で、1925-27年に建設された。現在は製薬企業のNovartisのオフィスとなっている。
Arthur D. Little Inc., Building
1917年建築。化学者Arthur Dehon Littleの創設したconsulting industrial laboratoryのための建物。
Divinity Hall
Harvard Universityを構成するschoolのひとつ、Harvard Divinity Schoolの最古の建物。1826年にSolomon WillardとThomas Waldron Sumnerの設計により建てられた。文人Ralph Waldo Emerson、トランセンデンタリストのTheodore Parker、哲学者George Santayanaらがいた。
Shady Hill Historic District
Harvardの東側に位置する住宅街で、19世紀後半に建てられたQueen Anne styleやColonial Revival styleの家が残っている。
Maple Avenue Historic District
19世紀半ばから開発された住宅地。Queen Anne styleやColonial Revival styleの家が多く残る。
Inman Square Historic District
ボストンの商人でCambridgeに土地と邸宅を所有していたRalph Inmanにちなんで名づけられた場所で、Central Squareの北側にある。18世紀末から都市化が始まり、現在もにぎわう。
Beth Israel Synagogue
1901-3年にかけて建てられたユダヤ教のシナゴーグ。Romanesque style。現在はコンドミニアムになっている。
The Jarvis
1890年建築のアパートメント。Queen Anne style。Harvardの北側、Mass Ave方面では、ごく初期にできたものとされる。
University Museum
1859年建設とされる。Harvard Museum of Natural HistoryとPeabody Museum of Archaeology and Ethnologyが入居している巨大な博物館。
Athenaeum Press
1895年に建てられたAthenæum Press社の建物で、印刷作業を行っていた。同社はEdwin GinnとGinn and Companyの所有だった。屋上のアテナ像はAdio diBiccariによるもの。
Blake and Knowles Steam Pump Company National Register District
ここは19世紀後半から20世紀半ばにかけて、工業用ポンプのトップメーカーだったBlake and Knowles Steam Pump Companyの工場エリアである。1889年に建設され、1927年まで操業していた。
Bottle House Block
1826年、実業家Deming JarvesによりTavernとして建てられた。East Cambridgeでは3番目に古いレンガ造りの建物。
American Net and Twine Company Factory
1875年に建てられた、米国最初の綿製漁網製造業者の建物。Italianate style。1886年と1916年に拡張され、現在はオフィススペースになっている。
Sacred Heart Church, Rectory, School and Convent
1870-80年代に建てられた教会とその付属施設。教会は中世ゴシック様式でつくられている。
Winter Street Historic District
1854年以前に建てられた労働者たちの住宅群。多くはNew England Glass Companyに雇われていたという。
Lechmere Point Corporation Houses
1821年以前に建てられた住宅群。Lechmere Point Corporationは、19世紀初期にEast Cambridgeの開発を行った業者である。
East Cambridge Historic District
East Cambridgeは、Central、Harvard、PorterといったMassachusetts Aveを中心とするエリアとは趣が異なる。交通機関もRed LineよりもGreen LineのLechmereに近い。このエリアにはランドマークとなる教会や公共機関があり、付近には当時の住宅が多く現存している。
East Cambridge Savings Bank
1931年、Thomas Marriott Jamesにより設計された銀行本店。
Union Railway Car Barn
1869年、Union Railway Companyの馬鉄の車庫としてつくられた。現在は商店となっている。
The Montrose
1898年に建てられた高級アパートメント。隣のThe Dunveganとは地下通路でつながっている。
The Dunvegan
1898年に建てられたアパートメント。名前はスコットランドのDunvegan Castleに由来するという。隣にあるアパートメントThe Montroseとは地下通路でつながっている。
Garfield Street Historic District
1885-91年に開発された住宅地。3軒以外はすべて1891年までに建てられたという。建築様式はさまざま。
Peabody Court Apartments
1922年に建てられたColonial Revival styleのアパートメント群である。
Cooper–Frost–Austin House
Cambridgeに現存する最も古い家屋で、Samuel Cooperによって建てられたのは植民地時代にさかのぼり、1689年にはすでに記録がある。当初はごく小さな家だったが、1720年頃に拡大され、さらに1807年、1816年にMartha Frost AustinとThomas Austinによりそれぞれ拡張が行われた。
North Avenue Congregational Church
1845年に建てられたGreek Revival styleの教会堂。もとは別の場所にあったが移設された。現在はLesley Universityが所有、図書館として使われている。
Lovell Block
1882年にAndrew Jackson Lovellによって建てられたレンガ造りの3階建ての建物。上層階は住居、1階は商店に使われた。
St. James Episcopal Church
1888-9年建築のRichardsonian Romanesque styleの教会。Henry Martyn Congdonにより設計された。
Henderson Carriage Repository
1892年、馬車製造業者Henderson一家のために建てられた。もとは馬車置き場として使われており、2000台収容できたという。現在はオフィスなどに転用されている。
Alpheus Mead House
1860年代に建てられたSecond Empire styleの家。食肉業者のAlpheus Meadの家だった。
Isaac McLean House
1894年に建てられたColonial Revival styleの家。ボストンの会計士Isaac McLeanが住んでいた。
Church of the New Jerusalem
1901年に建てられた新教会派(Swedenborgian)の建物。English Gothic Revival style。
Fogg Museum
1896年開設。Harvardの美術館の中では最も古い歴史を持つ。現在の建物は1925年のGeorgian Revival styleの建築。
Harvard Union
1900年、McKim, Mead and White事務所の設計により建てられたneo-Georgian styleの建物。Harvardの学生のソーシャルスペースとして使われた。
Sears Tower – Harvard Observatory
1841年、Isaiah Rogersの設計により建てられた天文台。現在、塔は大きな建物の一部になっている。
Taylor Square Firehouse
1904年に建てられたレンガ造りの消防署。現在も使用されている。
Carpenter Center for the Visual Arts
1962年完成のLe Corbusierの設計による建物。Harvardの視覚芸術学部のための施設として建設された。
Hasty Pudding Club
Hasty Pudding ClubはHarvardの社交クラブで、1795年に設立された。
Mount Auburn Cemetery Reception House
Mount Auburn Cemeteryのレセプションハウスだった建物。1870年にNathaniel Jeremiah Bradleeの設計により建てられた。現在は墓地の一部ではなく、1896年に墓地内に新しいレセプションハウスが建てられている。
Mount Auburn Cemetery
1831年より供用されている墓地。70haの敷地を有する。米国最初の公園型墓地である。医師Jacob Bigelow、景観デザイナーAlexander Wadsworthの助力を得て、政治家Henry Alexander Scammell Dearborn(1783-1851)がデザインした。特にBigelowは街中の小さな教会墓地への埋葬は公衆衛生上問題があり、またいずれ場所がなくなるとも考えていた。
Ash Street Historic District
1850から1890に建てられた家が多く残っている。
Craigie Arms
1897年に建てられたGeorgian Revival styleのアパートメント。角の丸みが特徴。
Harvard Houses Historic District
ここはHarvardの学生の住居が多くある場所。1913-30年に建てられたGeorgian Revival styleの建物が歴史的価値があるとされる。より新しいものには1959年にできたQuincy Houseが知られる。
Harvard Lampoon Building
1909年に建てられた建物でThe Harvard Lampoon(Harvardの学生によるユーモア雑誌)がある。奇抜なデザインには賛否両論があった。
Reversible Collar Company Building
1862-1907年に別々にできた複数の建物が、のちに1つに融合した。最古の部分はAllen and Farnhamという印刷業者であり、ついで1867年にReversible Collar Companyというワイシャツのカラーをつくる会社の所有となる。1897年にはBoston Bookbinding Companyのものとなり、1960年代後半からはオフィスや商店に使われている。
Edwin Abbot House
1889年、Longfellow, Alden and Harlow事務所の設計によるRichardsonian Romanesque styleの家。鉄道事業者であったEdwin Hale Abbotが死ぬまで住んでいたが、1937年からはLongy School of Music of Bard Collegeが使用している。
Christ Church
BostonのKing’s Chapelに通っていたCanbridgeの教会員たちのために、1760年に建てられたもの。Revolutionary Warでは英国寄りだったため植民者側に占拠されたが、近くに司令部を置いていたGeroge Washingtonの礼拝所でもあった。
Cambridge Common Historic District
Cambridge Commonを中心とするエリア。1636年、マサチューセッツ植民地の知事の選挙が行われ、Revolutionary Warでは兵舎が置かれた。この歴史地区は、周辺の建物も含んでいる。
Longfellow House–Washington’s Headquarters National Historic Site
1759年建築。1775年のRevolutionary Warにおいて、George Washingtonの司令部となる。1776年にWashington軍のapothecary general (医薬品・医療器具を補給を担当する)であったAndrew Craigieの所有となった。1843年からHenry Wadsworth Longfellowが所有し、1882年に死ぬまでそこに住んでいた。
Brattle Hall
ここはマイナー映画をよく上映しているBrattle Theatreとして知られる。1889年、Cambridge Social Unionのライブラリ、集会所として建てられた。
Dexter Pratt House
1808年建築。Henry Wadsworth Longfellow(1807-82)の詩’The Village Blacksmith‘(村の鍛冶屋)の着想のもととなった。
William Brattle House
1727年、マサチューセッツ湾植民地で最大の富豪でもあったWilliam Brattle少将のために建てられた。火薬警鐘事件において、この家は怒った大衆に囲まれ、Brattleはボストンに逃亡。Revolutionary Warにおいては、植民地側からイギリス側に移ったため、1776年には齢70にしてカナダへの脱出を余儀なくされ、その後まもなく死亡している。
Cambridge Public Library
1888年、大実業家Frederick H. Rindgeの資金援助、Henry Van Bruntの設計による大図書館。Minuteman Library Networkの一員であり、2014年には市の予算の1.64%が図書館事業に支出されている。
George Close Company Building
1872年創業のGeorge Close Companyが建てたキャンディ工場。1910年の建築。1939年に同社が倒産した後は別の会社の手にわたり、実験器具や医療器具の製造が行われていた。1971年まで工場として使用されていたが、1976年に集合住宅となった。
City Hall Historic District
Central Squareの北西側一帯のエリア。Cambridge City Hallは1888-9年にかけて、大実業家Frederick H. Rindgeの資金援助でLongfellow, Alden & Harlow事務所の設計により建てられた。