ボストンの北西にある人口35,000人の町。なんといっても独立戦争の口火を切ったレキシントン・コンコードの戦いで有名。多くの観光客が訪れる。世帯収入は中央値で$206,000 (2022)、家の平均価格は$910,000。公共交通機関は基本的にBus62/76(Alewife駅-Bedford)のみで日曜日は運行しない。他にAlewife駅との間にコミューターバスがある。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Buckman Tavern
1709-10年頃、Benjamin Muzzey (1657–1735)と息子のJohnにより建てられた。1775年にはJohnの孫娘とその夫John Buckmanが経営しており、植民地側の集会所ともなっていた。1775年4月19日未明「英軍出撃」の報を受けて植民地側の兵が集結、英軍の到着とともにこのTavernより打って出て、目の前にあるLexington-Battle-Greenで戦闘が始まった。
United States Post Office–Lexington Main
1937年の復興ジョージ王朝様式の建築。景気対策プログラムで建てられた。
Lexington Battle Green
ここは、Revolutionary Warにおいて、最初の戦闘が発生した場所とされる。1775年4月19日、ここで銃声が鳴り響き、Lexington-Concordの戦いが始まった。24時間、米国旗がひるがえっている、全米8か所のうちの一つである。
Hancock School
1891年、Hartwell and Richardson建築事務所の設計により建てられた。現在は集合住宅(condominium)となっている。
Follen Community Church
この教会は、会衆の最初の牧師だったCharles Follen(1796-1840)にちなんで名づけられた。1839年の建築。Follen自身は、New Yorkからの帰途に乗った船が大破し、1840年1月13日に死亡したため、ここで説教を行う機会はなかったという。
Hancock–Clarke House
1738年建築。Founding Fathers(米国建国の父)の一人John Hancockの家。1752年からは彼のいとこの夫であるJonas Clarke牧師一家の住まいとなっていた。1775年4月18日、Lexington-Concordの戦いの前日、HancockとSamuel Adamsはここに滞在していたが、真夜中にイギリス軍進撃の報を受け、急遽Burlington方面に逃れたという。
M.H. Merriam and Company
1882年建築の工場。Matthew H. Merriamは実業家、銀行家、住民のリーダーであり、革靴などの革製品製造を行っていた。現在は医療介護施設になっている。
Stone Building
1833年、Eli Robbinsにより建てられたギリシア復興様式の集会所で、East Lexington地区にある。Ralph Waldo EmersonやHenry David Thoreauら、著名人が講演したことで知られる。
Simonds Tavern
1794年頃、Joshua Simondsにより建てられた。1802年にTavernを開業、1810年には建物も拡張している。
Munroe Tavern
もっとも古い部分は1735年に建てられたという。1770年にWilliam Munroeが購入、Lexington-Concordの戦いの後、一時イギリス軍の援軍の司令部となり、野戦病院としても機能した。1789年にはGeorge Washingtonが訪問している。
Sanderson House
LexingtonのMinutemanであったSamuel Sandersonの家。Munroe Tavernの隣にある。彼はMary Munroeと結婚してここに住んでいた。Lexington-Concordの戦いでは、イギリスの負傷兵がここに残されたという。