「山本四区」

ここはかつて、中央バス・白27 山本線の終点だった。
その後2001年に「白陵高校」まで路線を延長した(wikipedia)。

山本地区は、1909年に豪商・山本久右衛門が資材を投じて開拓を始めた場所だという。
一面の泥炭地だったため、排水路の整備に力を尽くし、父子2代にわたってついに開墾を成し遂げた。
山本稲荷には、山本用水記念碑、開拓記念碑がある。
たしかに1980年代まで、このあたりはまっすぐな用水路が延々と続き、各戸に小さなコンクリート橋がかかっていた記憶がある。
現在、北海道新幹線の建設に伴う残土を捨てる候補地となっており、反対運動の看板が多く立っている。

「山本四区」の次は、2kmほど離れて「6号幹線通」。東米里地区である。
「東米里」というとやはりお化け屋敷を思い出すわけであるが、かなり前に焼失した。
「長沼病院」(現・「ロイヤル病院」)に絡めた逸話が多いようである。

04/03/2021