厚真の中心部から太平洋岸に抜けるメインルートは、上厚真を経て浜厚真に至るものであるが、もうひとつ、鵡川に抜ける道がある。このルートは交通量も少なく、バスは平日2往復のあつまバス・鵡川線が走るのみだが、独立した農村集落が点在していて興味深い。約20kmの距離があり、一気に歩くと少し疲れる。
軽舞は120年以上前に開拓が始まった農村で、落ち着いた佇まいであり、簡易郵便局もある。
その先の豊丘は厚真町における「水田発祥の地」とのこと。
横の碑文
「明治二十五年四月佐賀県人山口良人ほか十三名が この地に入地開墾に努め 厚別産赤毛の種籾で 水稲の耕作をしたのが 本町稲作の始めである
明治二十七年岡田狐鹿が この地一帯の払い下げをうけ農場を開き 同二十九年に青木末吉 大坪与四郎 吉井三次郎等の入地に続き移住者が多くなり部落を形成するに至った
この時期より この地域を始め町内全域に水田の開発が進み 今日「北海道一のあつま米」の産地として発展した
ここに本町開基八十年を迎えるに当り この地を厚真町水田発祥の地として この碑を建立し 先人の偉功を顕彰する
昭和五十一年九月吉日建立」
鹿沼まで来ると鵡川はもう近い。
碑文
「明治二十二年以来広島県人大江常三郎 植木清吉 清水徳一郎を指導者として当時月寒方面に居住していた広島県人福井県人が入鹿別原野に入植し開拓の鍬がおろされたのである
以来多くの先人そして後継者が寒気と飢えの厳しい自然条件のもとで計り知れない苦難に耐え忍び 今日の稔り豊かな理想郷として鹿沼の発展を見るに至ったのである
いまここに開基百年の大成を祝い繁栄の基礎を築かれた先人の功績を称え 感謝の念をこめ記念碑を建立し後世に顕彰するものである」