「大富の記念碑」

とにかく大富というのは不思議な場所で、岩見沢から旧北村を経て月形へ入ろうというときに、突如出現する美唄市の集落なのである。私が美唄市民バスの存在を知ったのも中央バス・月形線で大富を通った時だった。一方、「大富」の名を冠する下記の碑は、岩見沢市のサイトで紹介されている。施工は渡辺石材とのこと。

6/12/2023

 「我が国従来の土地改良事業は 食糧増産 土地生産性を目的とし主に客土 暗渠排水 かんがい排水事業を中心として実施され 大富農協地域に於いても 開拓以来先人が冷水害と闘い幾多の困難を克服し 受益地一・三00ヘクタール余の基礎を築いたものでありその過程は如何に困難の途であったかと憶いおこすものである
 時代の変遷と共に 農業をとりまく条件の変化に対応し 国の施策の方向も 労働生産性の向上 農業生産の選択的拡大 農業構造の改善に資する 近代的農業を展開するための基礎作りを目的とし昭和三十八年に圃場整備事業が創設された
 土地改良の歴史の事実を認識理解し それに基づいて小江合を考えることは言うまでもないことであり その後の社会情勢も国民の需要構造の変化により過剰米により生産調整等 農業環境の急変に併せ当地区に於いてもこれに対応し 健全農業確立を目指し体質の改善が叫ばれた。これを受けて ときの組合長土田年平氏等が総合的な土地改良事業である農業基盤整備は必要不可欠であることを提唱し昭和四十八年十一月期成会誕生の運びとなったものである
 当時は未だ本事業に対する理解が薄く 交換分合や工事費負担の問題等で反対が強く 賛同者は三分の一にも満たない状態であった茲来三ヶ月にわたり 期成会と農協の昼夜を分かたぬ戸別或いは部落別の勧誘 説得が行われ漸く三分の二の賛同者を得た中で昭和四十九年三月正式に大富地区圃場整備期成会の発足を見 推進本部長土田年平氏 期成会長武田貞光氏 事務局長氏家俊彦氏が当たり本事業推進に努力傾注したものである。
 本地区は、北村豊正・美唄市西美唄 月形新生の三市町村にまたがり 面積七五八ヘクタール 受益者一七一名であり昭和五十年度事業着工となった 時期同じくして 水田利用再編対策と相俟って工事は夏期施工となり 昭和五十三年度には年間二三二ヘクタールの整地工を実施 全国第一位を記録したこともあり 諸般の経過を経て昭和五十六年度には面工事の完了を見たものであるが 引き続き豊正八・九両部落の附帯工区八三ヘクタールの整備と 大曲揚水機場の改修工事も実施し十二年間にわたる期間と約六十億円余の費用が投入され 事業の完了を見るに至ったものである
 又 隣接の美唄市大曲 北村豊正十・十一部落に於いても急変する農業情勢に対応するため圃場条件整備の声が挙がり 昭和五十二年九月大富南地区期成会の結成を見 伊藤正次郎氏が会長として事業の推進に当たり面積四七七ヘクタール 受益者一0六名を以って換地も進捗し 工事費五十五億五千万円余を以って昭和六十年度面工事の完了を見るに至ったものである
 両地区には 実に百拾五億円余の巨費がとうにゅうされ 新しい時代に対応する基盤が確立されたものである この間に於ける関係受益者の絶大なる努力と協力と理解があったことは言うに及ばず 農林水産省 北海道庁 空知支庁 美唄市 月形町 北村 北海土地改良区 空知大富農業協同組合等関係機関団体の強力な支援は特筆すべきものがある
 いずれにせよ 先人の開拓せるこの偉大なる耕地を継承し 緑豊かな農郷造り 又食料生産基地としての使命は重大であり 幾多の障害 苦難を超越し未来への一大飛躍へ通ずるものと確信する
 茲にこの事業の実現に最善を尽くされた事業促進期成会役員諸氏の功績を称え 更に地域の発展を願い 後世にこの偉業を伝達すべく この碑を建立するものである」(撰文は当時の北村長となっている。)