「この付近において、1775年4月15日、当時80歳であった彼は、3人の英国兵を殺した。
彼は銃剣で撃たれ、突かれ、殴られて、死亡したものとして放置された。
しかし、その後回復し、98歳まで生きた。」
Samuel Whittemoreは1796年7月27日、Charlestownの生まれ。2度結婚し、娘を一人もうけた。Menotomy (現Arlington)で農場を経営。
40代半ばにKing George戦争(1744-48)に出征、Louisbourg要塞の奪取にも参加。この際にフランス軍将校より”Ornate Sword”(宝剣とでも言おうか)を奪い取り我が物とした。
一説には67歳時にはFrench-Indian戦争(1754-63)にも参戦したといわれる。
1775年4月19日、Lexington-Concordの戦いが起こり、英国兵は敗走。Hugh Percy麾下の部隊が退却を援護するために出撃したが、米側の激しい追撃は続いた。
Whittemoreは畑にいたが、付近の石壁に武器を集めて待機、英軍第47 (ランカシャー) 歩兵連隊の兵を狙撃した。ついで、殺到してくる英兵を過去の戦利品である剣で追い払おうとしたが防ぎきれず、打ち倒されてしまった。
碑には80歳とあるが生年月日から考えると78歳の誤り。1793年2月2日没、96歳であった。
いずれにしても、American Revolutionary Warにおける最年長の米側戦闘員とされている。