倶知安と岩内の間は行き来が多い。後志総合振興局(旧後志支庁)は倶知安に役所を置くが、倶知安は羊蹄山麓の町村を束ねるイメージが強く、岩内、共和、泊、神恵内は岩宇4町村と呼び、独立した地方とみなされていた。
前田は旧国鉄岩内線の駅があった集落。1884年、金澤藩主・前田利嗣が士族をここに入植させたことにちなむ。彼は札幌市の前田の由来にもなっている。バス停そばには、旧前田小学校(1888-1982)の跡がある。

幌似にも駅があった。アイヌ語の「ポロイチャンイ」(大きいサケやマスの産卵場)が由来。幌似神社は1901年の創立。

かかしふるさと館は幌似小学校跡にある。


国富も駅のあった場所。1908年に操業を開始した国富鉱山のために駅がつくられていた。


道筋には堀株川が流れる。泊村の堀株付近で海に流れ込む。



小沢駅は函館本線の駅。かつて岩内線の分岐点であった。








俱知安峠を越えると、峠下小学校跡がある。1903年頃の起源をもち、1976年に閉校になった。


倶知安では新幹線工事が大々的に行われている。

駅前にある啄木の碑。

碑文。(一部句読点を判読できず)
石川啄木が函館から小樽に向かう列車で真夜中の俱知安駅を通ったのは、明治四十年(一九〇七)九月十四日の午前一時過ぎである
啄木はこの時の印象を短歌に詠んで、歌集「一握の砂」(明治四十三年十二月)に収めた。
鬢(頭の左右側面の髪)に古い?あとのある女は、実景であったのか、それとも真夜中の俱知安駅のイメージにふさわしいものとして、あるいは職を求めて旅するみずからの心象として創り出したものであったのかは、定かではない。
当時の俱知安村は、開墾が始って、十五年たったばかりであった。
駅前通りはようやく開通したものの、電灯はともっていなかった。
この夜駅を降りた人たちが見上げた空に王者の象徴・農耕の星として親しまれてきた<すばる>が輝くまでには、まだすこしの間があった
倶知安駅は1904年の開業。かつては伊達紋別に向かう胆振線の分岐点でもあった。1990年代に俱知安に住んでいた時にはよく利用した。



今回歩いた動画。
