「宮尾直治」

小樽梅ヶ枝町に「梅広会館」という公民館がある。その正面に彼の像が立っている。中央バス11 祝津線12 赤岩線14 梅源線などにその名を冠した停留所がある。

梅広会館 (06/23/2024)

銅像裏の碑文。

宮尾直治翁は長野県の人。昭和十二年七月に小樽警察署長の職を辞してここを永住の地と定め梅ヶ枝郵便局長を勤めながら民生福祉の向上に没頭。爾来三十年間ひたすら社会への奉仕に徹して活躍されたボランテアである。保護司会民生児童委員協議会、保健委員連絡協議会、社会福祉協議会、国民健康保険運営委員会、防犯協力会、郵政協力会、共同募金会、連合町会その他社会福祉団体の長又は主要役更には赤十字社小樽地区済生会道支部の重要職など翁に冠せられた肩書は驚くべき数に上った。しかし一つとして空名にしたものはない。世のため、人のためとあらば晴雨朝暮を分たず奔走しつづけるその熱意と稀に見る円熟した人がらで、往くところ必ず人の心を動かすというまことに得がたい徳望家であった。昭和三十六年の藍綬褒章をはじめ、市の功労者顕彰など幾多の栄誉に輝き最後には正六位勲五等双光旭日章を授与されている。昭和四十年十月二十四日、八十二年の生涯を閉じられたが、市長はもとより翁を知る数多くの市民は心からこれを惜しみやがて敬慕の情が集り形となったのがこの像である。最初の祥月命日これを除幕し永く翁の徳を伝えることとした。
宮尾直治翁頌徳胸像建立期成会々長石橋猛雄

「石橋猛雄」氏というのは、おそらく昭和9年創立の石橋病院の院長および日本精神病院協会の会長でもあった人物と思われる。