美唄市民バス西線「美唄市民バス西線 進徳拓北線」で上美唄に向かって進むと、「小川神社」という停留所がある。ここに建っているのが「上美唄神社」である。
左から3番目の碑の文。
「關口翁之碑
翁名茂平新潟縣中魚沼郡十日町人家世業醸酒翁幼有志氣明治廿七年
渡北海道占居虻田郡俱知安町十字開拓得良圃敷百町歩創立倉庫會社
水力電気會社及薬草會社等爲其社長利地方之労居多云翁鋭意努力不
止子此謂我瑞穂國以農爲本豈可不作稲田乎対象六年八月往来空知郡
美唄町投巨資設農場於曠寞野墾成畑五百餘町歩然往住有河川氾濫之
患所穫菽麥殆歸腐敗其間苦心不可勝言里人松田市兵衛氏等特以造田
爲念講之擴充其所説稱翁之素志肝膽相照而審察以自然分水猶未足全
感慨之状也規画石狩川揚水工事十一年二月爲官所許始起二六月竣功
通渠溝之區域達二百三十餘町歩竟能化美田衆庻安堵翁資性濶達明敏
於斯業成跡足以爲後範矣㑹穫疾以十五年七月卄三日没年六十三今茲
中美唄土功組合院胥謀将建翁碑干小川𧙈畔以不朽芳躅是報本反始之
義極爲善事乃敍梗概作銘曰
偉哉興業 致力朔邊 相地開荒 揚水感田 獻身益世 功績万全
茲勒貞珉 遺徳長傳」
碑文。
「遠く先人を偲び明治二十七年、上美唄町小川橋東北に二十一戸分の宅地割が設定されるが、低位湿地による土地条件が悪く他の開拓地より入植が遅れる。
明治三十七年に二十戸が入植、開拓の基礎が成されて以来、百年の歴史の中で開拓者魂を奮起し、協同・友愛で結ばれ、土地改良、治水事業に取り組み不毛のごとく思われた湿地や泥炭地が、今や美田と成しその名を高めている。
茲に、開基百年を迎えるにあたり、一0七戸の(約四三十九名)の住民をあげて先人の偉業功績を讃え、労苦を偲び感謝の誠を捧げると共に上美唄の未来を時代に託しこの碑を建立する。」