ボストンの北西に位置する人口46,000人の町。当初はMenotomy、のちにはWest Cambridgeと呼ばれていた。世帯年収の中央値は$87,000-95,000くらい。日本人も多く住んでいる。East Arlington, Arlington Center, Arlington Heightsの3地域に分かれる。地下鉄やコミューターレールの便はないが、Arlington CenterはBus77(Harvard駅-Arlington Heights)、350(Alewife駅-Burlington)、67(Alewife駅-Turkey Hill)、87(Arlington Center-Somerville-Lechmere)、80(Arlington Center-Tufts University-Lechmere)、95といったバスが行き交う。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Arlington Center Historic District
町の中心街。Jason Russell House、Robbins Memorial Town Hall、Robbins Libraryを含む、複数の歴史的建造物がある。
Prince Hall Mystic Cemetery
Prince Hall(1735/8-1807)は、”Black Freemasonry”(黒人のフリーメイソン)の創設者と考えられている人物。1784年、Prince Hall Freemasonryを創設した。この墓地は、1897年までメンバーの埋葬に使用されていたとされるが、その後使われなくなり、長い間忘れられていた。1987年に再発見された。
Kensington Park Historic District
20世紀初頭、Arlingtonが田舎町からベッドタウンに変わっていく時期の住宅開発を代表する地区。BostonやCambridgeの事業家の投資を受けて、コロニアル復興様式を含む様々なスタイルの家が建てられた。
Orvis Road Historic District
1918-1939に開発されたエリア。元は園芸農家John Squireの所有地であったが、20世紀初頭に住宅地となる。26件の家がこの地区に含まれている。
Edward Hornblower House and Barn
1830年頃の農場宅。1850年頃に現在地に移築、イタリア風の外観が加えられる。1870年代に、おそらく金融業者Edward T. Hornblowerによりさらに手を加えられた。納屋は裏手にある。
Thomas Swadkins House
1882年頃のゴシックおよびイタリア風の建物。このエリアの開発初期に建てらてた家。
Robinson-Lewis-G. F. Fessenden House
1850年頃のイタリア風建築。農家として建てられた頃には、あたりには数件の家しかなかったという。
Old Schwamb Mill
ここは米国最古の水車小屋とされ、起源は1684年にさかのぼる。現在の建物は1861年のもので、博物館となっている。1681年にダム建設とともに開発が始まり、水力製粉所、のちに1704年に製材所となった。その歴史はオフィシャルサイトでも述べられている。
Capitol Theater Building
1925年、Locatelli家によって建てられた。古典復興様式、バロック様式、初期のアールデコ様式の要素がみられるとされる。William J. Drummeyの設計。劇場としてつくられているが、現在は映画館であり、独特のタイミングでの新作上映には定評がある。
United States Post Office—Arlington Main
1936年の建築でコロニアル復興様式。ロビーには1938年、William C. Palmerによって壁画が描かれている。土曜日も午後まで営業、小包の受け取りなどで訪れる機会は多い。駐車スペースがきわめて限られているのが難点。
Maria Bassett House
1850-70年頃の建築で、Arlington北西部ではもっとも古い家のひとつである。イタリア風。このエリアの大半は、20世紀まで宅地化されていなかった。
Stephen Symmes Jr. House
この土地は1703年、Symmes家がNative Americanから購入したもの。この建物の起源は1746年までさかのぼるともいわれるが、おそらく1841年に建てられたもので、より以前の構造物を内部に含んでいると考えられている。ギリシア復興様式。所有者のStephen Symmes Jrはこれを病院用地としてArlington Townに遺贈したが、立地が悪かったためSymmesの名のついた病院は、町内の他の場所に建てられた。
Fowle-Reed-Wyman House
1706年頃のFirst Period(1626頃-1725頃)様式の家。John Fowleによって建てられ、Daniel Reedに売却。1775-1924にはWyman家が所有していた。
Butterfield-Whittemore House
Arlingtonでもっとも古い家のひとつであり、最古の部分は1695年頃にJohnathan Butterfieldによって建てられたとされる。1749年、Samuel Whittemore III (American Revolutionary Warにおいて戦った最年長の人物Samuel Whittemoreの息子)に売却。1845年頃、ギリシア復興様式への改装が行われ、1920年頃には新しいポートがつくられている。
Alfred E. Robindreau House
1920年頃のクラフツマン・バンガロー様式の家。East Arlingtonの端、Cambridgeに近いエリアにある。周囲はシングルスタイルやコロニアル復興様式の家が多い。
Highland Hose House
George Ernest Robinsonの設計により1928年に建てられた消防署。ジョージ王朝復興様式で、18世紀後半から19世紀初頭のBostonのタウンハウスの特徴を真似ている。現役の消防署である。
William Prentiss House
1860年頃のギリシア復興様式の家。同じ時期に、似たスタイルの家がEast Arlingtonにいくつも建てられているが、Arlington Heightsにはこの一軒しかない。農民であったWilliam Prentissが、判明している限りでは最初の所有者とのこと。
Peirce Farm Historic District
Arlington Heightsにある歴史地区で、連邦様式からギリシア復興様式への移行期に、Peirce家によって建てられた3軒の家からなる。Peirce家はArlington Heightsに最初期に移住してきた一家であり、このエリアに大きな土地を所有していた。
J. Peirce Houseは1830年頃の建築。
John A. P. Peirce Houseは1835年頃に建てられている。
Thomas Peirce Houseは1850年頃。
Allyn House
1898年頃のクラフツマン様式建築。Bostonの出版業者Phillip M. Allynが長年にわたって所有していた。
Taylor-Dallin House
コロニアル復興様式・シングルスタイル(屋根をこけら板で覆っている)の家。1898年頃にJack Taylorにより建てられ、翌年に彫刻家Cyrus E. Dallinに売却。彼は1944年に死ぬまで、ここに住んでいた。もっとも、現在Cyrus Dallin Art Museumには、Arlington CenterにあるJefferson Cutter Houseが使われている。
House at 45 Claremont Avenue
1885-90年頃の建築。イタリア風・ゴシック復興様式。MITの講師であったTheodore B. Merrickが所有していた。
Arlington Coal & Lumber
1875年頃に建てられた後期ゴシック復興様式の建物。Arlington Heightsの中心街に近く、コミュニティセンターとしてさまざまに利用されてきた。
Locke School
1899年に建てられた、ルネサンス復興様式の建物。William Proctor Houseのオーナーの息子WilliamによるGay&Proctor建築事務所の設計。
Milestone
1790年につくられた里程標。ここはBostonからConcordへ至る古い街道上にあり、Bostonから8mile (13km)であることを示す。このルートは1811年に現在のMass Aveに付け替えられ、里程標は通らなくなった。
Addison Hill House
19世紀前半、Addison Hillのために建てられた。Addison Hillの一家は、当時Arlington Heightsのあたりに広大な土地を持っていた。ギリシア復興様式であるが、イタリア風の要素もある。
Lt. Benjamin Locke Store
1816年、Captain Benjamin Lockeの息子・Lieutenant Benjamin Lockeにより商店として建てられた。1854年に4世帯用の家に改装された。
Capt. Benjamin Locke House
1720年頃の建物で、Menotomy(現在のArlington)のMinutemenを率いて戦ったCaptain Benjamin Lockeの家。彼は1780年にBaptist派に家を売り、1790年にふたたび買い戻すまで、家はBaptistの礼拝に使われていた。
Kimball Farmer House
1826年、農家であったKimball Farmerにより建てられた。その後3代にわたりFarmer家が所有していた。
Gershom Cutter House
1802年、4代目Gershom Cutterがここに家を建てたが1804年に解体。1833年に6代目Gershom Cutterが土地を取得し、1835年頃に今の家を建てたとされる。後期連邦様式(Federal Style)。
Calvary Methodist Church
1919-23年に建てられたMethodist派の教会。BostonのKing’s Chapel (有名な観光地でFreedom Trailのコースに入っている)を模している。鐘楼はCharles Bulfinchによって1809年に設計され、Bolyston Marketで使われていたものを移設している。
Robinson House
1846年の建築。ギリシア復興様式の要素を持つ。おそらく投機的につくられたものと考えられている。
W.W. Kimball House
1847-1865年頃、John Squire(House at 5–7 Winter Streetを建てた人でもある)により建てられる。1865にWilliamとNancy Kimballに売却。ギリシア復興様式。
House at 5–7 Winter Street
1895年に園芸農場を所有していたJohn Squireにより建てられた。Anne女王時代様式。Arlingtonの園芸農家が土地を手放し始める前の時代に、投機的に建設されたものである。
Baptist Society Meeting House
1790年建築。1780年に会衆派教会より分派したArlington’s Baptist Societyの建物。Lexington、Concordにあった集会所を模して建てられたという。1828年に売却されている。
Arlington Pumping Station
1907年、CA Dodge&Coの設計の水道供給施設。Arlingtonの高い場所やLexingtonに水を供給していた。敷地内に入ることはできない。
Arlington Gaslight Company
もとはWelch and Griffithという鋸の工場だったが、1913年に焼失。1914年にArlington Gas Companyが入り、ロマネスク復興様式の建物ができた。現在は、町の公共事業部が入居している。
Second A. P. Cutter House
イタリア風の建築様式にギリシア復興様式を加えたもの。1855年頃の建築。APはAmmi Pierceのことで、同名の人が数人いた。1949年に2世帯用の家に改装された。
Ella Mahalla Cutter Sterling House
1845年頃のギリシア復興様式建築。Ella Mahalla Cutter Sterlingの父、Cyrus Cutterが建てたもの。
Winn Farm
1820年頃に建てられた農家。建て主とされるAlbert Winnは州の役人として町役場で働いていたという。
Highrock Church
1841年の建築。First Parish Congregational Churchから分かれたUniversalist(普遍主義)のグループが建てたもの。当初はギリシア復興様式だったが、1860年にThomas Sillowayによって尖塔をつけるなど改築された。1938年にハリケーンで損傷してからは、尖塔は円蓋屋根となっている。
1964年に正教会の Saint Athasius Greek Orthodox Churchが建物を買収、さらに2006年にHighrock congregation(会衆)が買い取っている。Saint Athasius ChurchはArlington Heightsのほうへ移転している。
Jefferson Cutter House
1830年のギリシア復興様式・連邦様式の折衷建築。現在はCyrus Dallin Art Museumとなっている。
Robbins Library
この図書館は、1807年West Cambridge Social Libraryとしてスタート。1835年、Dr. Ebenezer Learnedが100ドルを寄付し、子供図書館ができた。彼は若いころ、この町で教師をしており、そのときの楽しい記憶があったのである。1837年からは公費が使われるようになり、1872年にArlington Public Libraryと改称。1892年にMaria C. Robbinsが亡夫Eliの思い出に多額の寄付を行った。Cabot, Everett and Mead設計事務所はイタリア・ルネサンス風のデザインを選択し、現在の建物となる。
East ArlingtonにはFox Branch Libraryがあり、またMinuteman Library Networkのメンバーである。
First Parish Church Parsonage
1855年、資産家のNathan Prattにより建てられ、半分はFirst Parish Churchの牧師館として寄付された。19世紀末に牧師館としての使用はなくなり、一世帯用に改装された。
Prentiss-Payson House
1856年、PrentissとPaysonという二人の女性のために建てられた。のちに教会のオルガン奏者・音楽教師のPrentiss Paysonが住んだという。
Call-Bartlett House
1855年建築のギリシア復興様式。Henry Callにより建てられ、製図技師・リトグラフ作家のGeorge Bartlettが40年以上住んでいた。
Edward Hall House
1890年頃、Edward Hall夫人のためにCharles Baconによって建てられた。Ann女王時代様式で、非対称のデザインが特徴。
Pleasant Street Congregational Church
1844年建築の会衆派教会。ギリシア復興様式。教義の違いによりFirst Parish Churchから分離した。尖塔は1871年と1938年の二度にわたり壊れた。2011年に教会は閉鎖され、信仰グループも解散。現在はBoston Church of Christが所有している。
Warren Rawson House
1885-90年頃、園芸農家のWarren Rawson(1847-1908)によって建てられた。Warren Rawson Buildingと同様、農場労働者の寮であった。レタス、キュウリを栽培して、New Yorkなどに出荷していたという。
Warren Rawson Building
1895年、園芸農家のWarren Rawson(1847-1908)によって建てられた。Warren Rawson Houseと同様、農場労働者の寮であった。レタス、キュウリを栽培して、New Yorkなどに出荷していたという。
House at 5 Willow Court
第二帝政期様式。正式な建築年次は不明だが、1930年代にはMass Aveに正面を向けており、のちに現在の向きになった。
Henry Swan House
1888年の建築。Henry Swanはボストンの鶏肉販売業者であり、地元で政治活動もしていた人物。建物はVictoria朝様式。
Russell Common
1898年の建築。Gay&Proctor建築事務所の設計。この事務所はWilliam Proctor Houseのオーナーの息子Williamが経営していた。
Ephraim Cutter House
1804年頃、町で最大の水力工場を持っていたEphraim Cutterによって建てられた。連邦様式(Federal Style)の建物の例。もとはMass Aveに面していたが、のちに移設して正面をWater Stに向けるようになった。
Cushman House
1884-1885年にThomasとJohn Grayにより貸家としてJason Stに建てられたが、1896年にGardner Cushman夫妻により買収され、現在地に移された。Queen Anne時代様式の建物の例とされる。
William Proctor House
1870年頃の第二帝政期建築の例。Bostonの銀行の金銭出納係であったWilliam Proctorの所有であった。
Ralph W. Shattuck House
1875年頃の建築。19世紀のイタリア風建築。Shattuck Hardware(現在はACE Hardwareの支店でもある)のオーナーであったRalph W. Shattuckが所有していた。
Wayside Inn
1750年頃の建築。ジョージアン様式。19世紀には、Arlington Centerでホテルを経営していたPhilip Whittemoreが所有していた(Wikipedia)。Broadway Historic Districtの項目でも言及している。
Broadway Historic District
この歴史地区は、Arlingtonで最初のものであり、Broadwayにある19世紀半ばの家屋4軒と393 Massachusetts Avenueにある18世紀のWayside Innを含む。後者は19世紀初頭に、Arlington CenterにあるWhittemore Hotelの付属施設として使われていた。
これらの建物は、19世紀後半、裕福な人々の間で様式趣味が急速に勃興したことを示している。特に興味深いのは、267 BroadwayのWhittemore Houseで、2階建の円柱をもつポルチコ(屋根付き玄関)は、大きさ・細部ともに神殿形式のギリシア復興様式のほぼ完全な例といえる。First Parish教会の牧師、David Damonは、275 Broadwayに住んでいた。彼は1843年にMount Pleasant墓地を聖別し、数日後、そこに埋葬された最初の人物となった。
Jason Russell House
Jason Russell宅のあった場所。
1775年4月19日、彼と11人の仲間は、退却してくる英軍によって捕縛、武装解除、さらに殺害された。
Jason Russell Houseは、もともとは1680年にJason(1716-75)の祖父によって建てられたもの。Lexington-Concordの戦いの後、英軍がBostonに向けて退却してきたため、彼は家族とともに避難しようとした。しかし、家は自分の城と思い直し、家族だけを逃がして自分は戻ったという。