中央バス 積丹線は小樽駅と積丹町美国を結ぶ路線。2023年に美国から先、余別までの区間が廃止されてしまったが、現在残っている部分は本数も多く便利である。
第1日
2024年12月24日、まずはJRで小樽へと向かう。ここから12時00分発の美国行にのり、13時30分頃、終点に到着。さっそく古平へ歩き始める。
この日の動画。
第2日
翌日は小樽から「古平家族旅行村」へ行き、余市まで歩く。小樽行のJRは大混雑。
今日はトンネルを多く歩くことになる。1996年の豊浜トンネル事故以来、このあたりでは海沿いの古いトンネルの付け替えがすすめられた。
付近の案内板より。
「昔、ラルマキという村の若い漁師が、一匹の犬を飼っていた。漁師は犬を可愛がり、犬も主人によくなついていた。
ある時、海が久しぶりになぎになり、漁師は仲間と共に沖へ漁に出た。犬は、いつものように海辺で主人の帰りを待っていた。
ところが、朝は穏やかであった海が、何時のまにか波が高くなり、日暮れとともに暴風雨となってしまった。村人は、海辺でかがり火を焚いて無事を祈った。やがて、難を逃れた漁師が浜に帰ってきたが、犬の主人は、ついに帰って来なかった。
暴風雨は何日もつづいたが、犬は海辺で待っていた。そして、ある夜、悲しげな犬の遠吠えが、何時までも聞こえていたと言う。
翌朝、暴風雨は止んだが、海辺に犬の姿は無く、岬に、犬の遠吠えをした形の岩が、こつ然とそそり立っていた。人々は、その岩を「セタカムイ」(犬の神様)と呼ぶようになった。」
この先には豊浜トンネルがある。
1996年の豊浜トンネル事故の慰霊碑。
碑文
「平成八年二月十日午前八時十分頃一般国道二二九号豊浜トンネル古平側坑口付近で高さ最大七十米幅最大五十米 体積一万一千立方米に及ぶ大規模な岩盤崩落が発生し 同時刻に通行中の路線バス及び乗用車各一台が被災し 二十名の尊い命が失われるという悲惨な大事故が起こった
巨岩に閉ざされ埋まる被害者の安否を気づかい一刻も早い救出を願って 凍てつく寒さの中 夜を徹して八日間にわたる懸命な救出作業が行われた
しかしながら 家族や国民全ての願い 祈りもむなしくこの崩落によって犠牲となられたことは災禍というには恨みて余りあり まことに悲運というより言葉もない いたましくも悲しい犠牲者のご冥福を祈り 悲しむべき教訓として永遠に生かし伝えるため この碑を建立したものである
合掌
平成九年八月
豊浜トンネル崩落事故遺族会(二一0の会)」
さらにトンネルは続く。
この日の動画。
第3日
この日は余市町内を西から東へ横切るルートとなる。蘭島まで到達。
余市市街を通り抜けて、栄町・蘭島に至る。
この日の動画。
第4日
2024年12月30日、余市循環線を歩いてから小樽行のバスに乗り蘭島で下車、塩谷まで歩いた。年末年始期間で欠便が多かったが、たまたま塩谷で17 塩谷線に乗ることができた。