「多度志」

1915年多度志村発足、1962年町制施行、1970年深川市に編入。
旧国鉄深名線の駅があったこともあり、現在も深川-名寄を結ぶJRの代替バスが経由している。

中央バス・多度志線は、それとはまったく異なる経路をとる。1日2往復しかないし、ほとんど人気のない山道を通る。
深川を出発したら多度志が終点である。その先はない。その停留所は、JRバスの「多度志」とは離れており、旧国鉄多度志駅に近い。

深川から歩き続け、「中山峠」を越えると、道が多度志の集落に下っていくのが見える。

開基記念碑 (08/06/2025)

この記念碑は、なんと横書きである。以下碑文。

明治29年兵庫県の人、故石橋末吉氏千古の密林を拓き本町開基の緒を開いた。爾来時代の変遷と共に開発日に進み昭和37年町制の施行に伴い町勢頓に躍進挙町その拓志を嗣きつつある。茲に開基70年を迎え烈々の開拓精神と偉業を讃え永くこれを児孫に伝える。
昭和40年9月
多度志町長 水谷隆毅

この水谷隆毅氏を記念する碑もある。

水谷隆毅氏の記念碑 (08/06/2025)

胸像の裏側にも碑文があるので掲載する。

 水谷隆毅翁は明治二十八年三重県長島領庄屋総代を祖父として生を享け明治三十七年父九七二氏と共に渡道、大正八年多度志町に転居、木材業、鉱業、漁業を兼業し家運は隆昌した。
 翁は公共心篤く幾多の公職を歴任し特に昭和二十二年本町の初代民選首長に当選以来昭和四十五年深川市との合併実現まで実に二十三年に亘り町勢の振興に尽した功績は誠に偉大なるものがある。
 ここに挙町一致翁の偉業に感謝しその至徳を讃え胸像を建立し永く後世に伝える。
昭和五十五年九月十五日
多度志町水谷隆毅翁顕彰期成会

1962年町制施行、1970年深川市に吸収合併ということを考えると、この水谷氏が唯一の「町長」ということになろう。

多度志土地改良区碑 (08/06/2025)

中央バス・多度志線のバス停。