「島松駅逓所」

島松駅逓所は1873年に現在の国道36号線にあたる札幌本道の開通とともに開設された。1877年にWSクラークが札幌農学校を去り米国に帰国する際に”Boys, be ambitious”という言葉を残した場所として知られる。

旧島松駅逓所 (01/12/2026)
旧島松駅逓所 (01/12/2026)

石碑に曰く(一部積雪のため読めなかった)、

 駅逓は、交通不便の地に駅舎と人馬を備えて、宿泊運送の便をはかるため設置されたが、その起源は松前藩時代にまでさかのぼり、明治以後は官営に切り替えられて道内百数十カ所におかれたが開拓の進むにつれてに廃止され、昭和二十三年をもって全く姿を消した。  島松駅逓は、開拓使の初期の大工事であった明治六年の札幌本道の開通に伴って、初め胆振国千歳郡島松(現恵庭町)に設置されたが、明治十七年に石狩国札幌月寒村字島松に在住の中山久蔵が駅逓取扱を命じられ、同位置に近接する同家が駅逓所となった。  中山久蔵は明治四年、この地方最初の移住者となった石狩水田の祖とうたわれた開拓功労者で、同家は明治十四年の天皇行幸に際して行在所となっている。  北海道開拓を物語る記念物として、往時の駅逓のを残した建物に行在所にあてられた座敷が保存されており、付近の水田跡や連池とともに貴重な遺構である。

明治23年の碑。永山武四郎の名前がある。(01/12/2026)
01/12/2026
01/12/2026
クラーク博士の碑と稲作の記念碑 (01/12/2026)

石碑に曰く、

明治十年四月十六日札幌農学校教頭ウイリアムスミスクラークの島松駅逓所(中山久蔵宅)において学生および職員と訣別した地を記念し昭和二十五年**クラーク奨学会(発起人代表宮部金吾)により記念碑が建てられた。
クラークは開拓使の招きにより明治九年六月東京へペンハロー・ホイラーんの二教師と共に着任し七月札幌へ赴任同年九月札幌農学校教頭となり翌年四月までの八カ月間在任した。
訣別にさいし青年よ大志を懐けの含蓄のある言葉を残したのは現在でも有名であり
塔央のクラーク彫像の下にはボーイズビーアンビシャスとその言葉が彫られている(村史要約)

近くには明治天皇の行幸を記念する御大禮記念碑も残る。

御大禮記念碑 (01/12/2026)

「島松」エリアは北広島に属し、駅逓所の近くの「島松川」を境に恵庭に入ることになる。

島松川 (01/12/2026)

ちなみにJR島松駅は、恵庭市に属する。

島松駅逓の動画。