「黒松内・長万部線を歩く 第1回」

ニセコバス・黒松内・長万部線は、寿都-黒松内間が1日2便、寿都-長万部間は1日1便、いつまで運行が継続されるか心許ない路線である。寿都-黒松内間は旧寿都鉄道の系譜をひき、黒松内-長万部間では、1日4.5往復しかないJR函館本線(山線)に沿って走る。交通の不便な寿都、小樽から汽車で2時間以上かかる黒松内と悪条件が重なっていたが、手数をかけて歩くことができた。

寿都町湯別地区の東、国道229号で朱太川を渡ると黒松内町の領域に入る。黒松内町は海岸線は領有していないが、ここは海まで数百メートルの距離しかない。何しろ「寿都郡黒松内町」なのである。このエリアに「追分」停留所があり、ここで雷電線のバスを下車して歩き始める。

雷電線を下車 (01/19/2026)

作開地区は酪農業が盛んなようだ。歩いていくと、樹齢推定150年というクロマツに出会う。山本竜也氏の「南後志を訪ねて」というサイトによると、1930年代には作開地区の山奥に「大金鉱山」という金山が栄えていたという(大金鉱山の歴史)。

クロマツ (01/19/2026)

案内板により。

この記念木は、旧斗南藩士(旧斗南藩は、青森県南部の下北半島部に位置す。)帰農記念として。植樹されたものである。
当時。この地は別手村と称していたが、明治4年歌棄郡へ移住した斗南藩士が機能したことにより新開の村の意である作開村と改名された。

作開地区の出口で一木川を渡る。

一木川 (01/19/2026)

白炭地区の農道は、冬は除雪されず閉鎖されている。

団体営農道白炭地区 (01/19/2026)

朱太川に沿って南下する。

朱太川 (01/19/2026)

次いで熱郛地区に入ると「制札壱番の地」の案内板がある。

制札壱番の地 (01/19/2026)

曰く、

本地は全国でも極めてめずらしい一字一番地の地であり、面積も四八七平方メートル(一四七.三坪)という日本一小さい字区域である。 安政三年の旧黒松内山道(現道々寿都黒松内線)開さくに貢献した佐藤栄五郎、その父定右衛門等の労を賞し、通行人に告げた制札が立ったことに由来している。 本年、山道開さく一三〇周年にあたり、記念事業としてここに建立する。

黒松内町の広報(1987年)はこう言っている。

制札一番地は珍しい一字一地番として知られ、黒松内山道(現在の道々寿都黒松内線)が開通した際、功績を称えた高札が立った場所です。
同山道は、安政三年(一八五七年)佐藤家が私費を投じて開削した道です。
山道開削の出願に対する箱館奉行の許状には、当時の蝦夷地は海岸道路ばかりで、黒松内山道は東西両海岸を結ぶ要路であり、人馬の往来が順調であれば、非常に大きな効果があると期待されています。(町史より)
山道工事竣工後、箱館奉行は佐藤家の功績を賞した高札を建て、通行人に広く知らしめました。

この「佐藤家」とは、寿都のカクジュウ佐藤家のことで、「寿都から岩内へ 第2回」でも登場している伊三右衛門が黒松内山道を開削したということである。北海道開発局では、その年を1856年と記載している。いずれにしても、いま歩いているこの道が歴史的ルートであることには間違いない。

「熱郛地区生涯学習館」は旧熱郛小学校である。1901年開校、1998年閉校。

熱郛小学校跡 (01/19/2026)

構内にはクロマツの木がある。

熱郛小学校跡 (01/19/2026)

この先でいよいよ函館本線と出会う。黒松内中心部に近づいていく。

跨線橋 (01/19/2026)
朱太川を渡る鉄橋 (01/19/2026)

黒松内市街に入ると「大正記念会館」という建物がある。由来は不明である。

大正記念会館 (01/19/2026)

この日は黒松内駅からJRで帰る。小樽まで二時間あまりの乗車である。

本日の経路。

動画。