1日目は千歳空港から新潟に着陸、空港バスに乗って30分ほどで新潟駅に到着。ここから万代橋まで歩き、ホテルオークラ新潟で荷物をドロップ。そのまま新潟市歴史博物館みなとぴあまで歩く。2.4 kmほど。暑くて消耗する。





幕末に開港された5つの港のひとつが新潟であり、税関も設立されたわけであるが、貿易の需要は少なかったという。市歴史博物館の敷地内に、旧第四銀行住吉町支店とともに保存されており、このエリアはSalemの港の雰囲気に似ている。
湊稲荷神社は「願懸の高麗犬」で知られる。静かな場所だった。

歩いて戻るのが面倒なので、観光循環バスに乗車、万代シティの近くで下車してホテルに向かう。

2日目は所用のため夕方にはホテルに戻らなければならない。まずは循環バスで白山神社に向かう。新潟総鎮守として千有余年の歴史のある神社という。




右の案内板より。
道祖神
御神徳 安産、子授け、子だから、子育て、夫婦円満、悪霊払い
日本の最北端に位置する道祖神と伝わっております。外から襲いかかる疫神悪霊を祓い、男神、女神が刻まれているとこrから、子授け、子育て、縁結び、夫婦円満に霊験ありと言われる神様です。道祖神は一般的にサイノカミと呼ばれ、長野、山梨などに多いのですが、日本の最北端に安置されたということでその意義は大きいものがあります。夫婦で餅をついている道祖神で、仲良く餅をつく姿がなんだかとても微笑ましいのですが、臼は女性、杵は男性に見立てられているとのことで、実はとても意味深でもあります。
戌の日や土日には安産、子宝おご利益があるということで、遠方よりおまいりに訪れる方々で列ができ、熱心におまいりする方々がたくさんおられます。
夫婦仲良く手を取り合っている道祖神は夫婦円満や子育てにご利益があるとされております。お子さんと一緒におまいりして家内安全、家族の健康をお祈りし更なるご加護を戴きましょう。
左の案内板より
餅搗き道祖神の由来
群馬県安中市東上秋間二軒茶屋に餅を搗いている男女の双体石像がある。寛政八年(1796)と銘があり部落では昔から道祖神としてあがめてきたのである。臼(うす)を女性、杵(きね)を男性に見立てたもので、これは古来いづれの民族でも行われた。そして日本では男女の睦を「餅搗き」といった。夫婦円満の神としてまつる道祖神像に餅搗きの像を思いついた江戸時代の庶民感覚に感心する。
餅はもと「晴(はれ)の日」のもので、祭りの供物としては最も多く用いられ、また人生の重大事、吉凶禍福に餅を搗いて祝うことは極めて多い。そのことからして「餅搗き道祖神」を縁結び白山の神域に建立したこともまた、はなはだ意義深いと思う。

燕喜館は、明治期の大商家、斎藤家の邸宅の一部を、白山公園内に移築再建した、歴史的建築物である。1908年。


白山公園でいったん休憩する。蒸し暑い。

ここから「古町通り」を歩き始める。昭和・平成の時期には隆盛をきわめた繁華街だが、近年、市街地は新潟駅や万代シティに分散しつつあるという。古町通りの両側には、西堀通り・東堀通りという堀を埋め立ててできた道路が並行している。







西堀ローサにも立ち寄る。1976年に開業した新潟市唯一の地下街で、鉄道駅には隣接していないという珍しい形態だった。全長330 mで46のテナント区画があった。老朽化のため2025年度末に全店舗の営業を終了。現在は地下道として開放されているが、廃墟感は否めない。





古町通りの終端からさらに北上すると、日和山という丘の上に住吉神社が建っている。江戸時代「水戸教」(水先案内等をする仕事)の場所として知られ、海の天候や船の出入りを見ていたという。

さらに「旧小澤家住宅」まで歩く。江戸時代後期から新潟で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅。明治時代の建築。

ここでホテルに戻ることにして、循環バスに乗った。所用の後、夜は会食で再び古町の割烹料理屋に来たのであった。
3日目は新津と新発田に行く予定である。

新津はかつて独立した市であり、2007年に13市町村の合併で新潟市が誕生した際にその一部となった。JR信越本線、羽越本線、磐越西線の交差する鉄道の要衝として発展した。新津駅の構内は広い。



ここから「新津鉄道資料館」までは2 km強の道程である。博物館そのものはそれほどではないが、古い町並みを歩くのはまあ面白くはある。



ついで羽越本線で新発田市へ。ここは羽越本線が新潟からの白新線に合流するところで、戦国武将・新発田氏の拠点でもあった。駅前には商店街が広がる。


ここから約2 km離れた新発田城に向かう。


新発田城に到着。櫓が復元されている。

新発田市街を歩いて引き返す。






このそばには旧新発田藩足軽長屋がある。

最後に新発田総鎮守・諏訪神社に立寄って、白新線で新潟に引き返す。


動画。
