当麻町は旭川の北東にあり、アイヌ語の「トオマ」(湿地の多いところ)に由来する。有名な当麻鍾乳洞は駅から10 km東に入った山の中にある。
「当麻町郷土資料館ここから」は、1926年に建てられた役場庁舎。市街地にある。現在は郷土資料館・コミュニティスペースとして使われている。

碑文。
明治二十六年五月、わが国北辺の警備と蝦夷地開拓を意図する明治政府の屯田兵制に応じ全国十六県にわたる四百名の若者屯田兵として第三大隊第五、第六中隊に属して永山・当麻の地に配置せられる。この地千古の原生密林点をおおい荊棘地を埋む人跡未踏の荒野に鍬を下し酷寒、困苦欠乏に耐え、大自然の悪条件を辛苦の末にこれを克服、兵農を両全、開拓の実を挙げる。
明治四十一年屯田兵制廃せられるに際し屯田公有地一千町歩を旧村の基本財産として寄付、創草期の村財政の基盤確立に寄与せり、その家族を併せた二千百九十三名の人士の言語を絶する労苦血汗こそわが郷土 繁栄の基とならん。当麻町開基百年にあたり屯田兵とその家族の偉大な功績の足跡に想いをはせ顕彰碑を建立してその偉業を称える。

碑文。
北辺の防衛と北海道開拓の任を帯びて明治二十六年五月、屯田兵ならびにその家族とともに全国十六県にわたる四百戸が入地し、人跡未踏の巨木空を覆う密林を切り開き、家族とともに開拓の鍬を振るい、自らは厳しい練兵 演習に励み、日清・日露の戦役にも出征するなど過酷な軍務に耐え、大自然の悪條件を克服し、艱難辛苦して兵農両立を遂げ、農業にも精励し、米どころ上川稲作の基礎をつくり 当麻町今日の繁栄の基礎を確立した功績は偉大である。また、明治四十一年屯田公有地一千町歩を村の基本財産として寄付し、本村財政の基盤を築き上げ、賞勲局から金盃を拝受している。
当麻町開基百年に当たり屯田百年碑を建立し屯田の偉業を称え 屯田会員ならびに屯田縁故者の芳名を刻して永くその功労を顕彰する。

市街地の北側には3つの寺が並ぶエリアがある。誓王寺は鐘楼が有名。

法隆寺は忠魂堂が有名。

駅の東側には当麻川が流れる。



市街地は当麻駅の西側に広がっている。




当麻駅は1922年の開業。







国道沿いを北上する。

当麻の北側には伊香牛集落がある。



伊香牛駅は1922年の開業。アイヌ語の「イイカウシイ」(越す所)に由来するという。









動画。
