MedfordとMBTA 95

Mystic St (12/04/2022)

Medfordといえば、ボストン日本語学校が想起されるところで、ここへのアクセスは基本的には自家用車である。それとは別に、ArlingtonからMedfordへ向かうにはBus 95を利用するのが良い。Arlington Centerを出てMystic Riverを越えた後は、High Stを進んでいく。MedfordのNational Register of Historic Placesの多くは、この通り沿いにある。まずはWest Medford。Commuter Rail Lowell Lineの駅があるが、乗り継ぎは考慮されていないし、実際に乗り継ぐ人もほとんどいない。

Norma E. Jeffers Bridge (10/09/2022) – 長年の市への貢献により1996年にこの名がついた。
この辺りの家屋は、17-18世紀に建てられたものだという。(10/09/2022)
John Bradshaw House (10/09/2022) – 1685年頃の建築という。

ついで、バスはMedford Square、街の中心部に入る。

USS Albert W Grantに乗っていた士官Milford Ellisの記念碑。10/25/1944にレイテ島の戦いで死亡。
Paul Revereの呼びかけに応じ、04/19/1775の戦いに参加したMedfordのMiniutemanのリスト。(10/08/2022)
Old burying ground (10/08/2022) – 初期の移民たちやRevolutionary Warの戦死者が埋葬されている。

Mystic Riverは市を南北に分けている。他方、歴史的にはMiddlesex Canalの存在も無視できない。

Mystic River (10/08/2022)
Mystic River (10/10/2022)

そしてバスはMedfordの中心街を去り、Sallivan Stationへ向かう。Isaac Royall Houseの近くには、”The Mystic Congregational Church Bell”が残されている。

181-191 Main Stの公園内にある。(10/10/2022)

このベルは、Medfordの歴史の重要な一部分である。1860年、BostonのHenry N. Hooper Companyにより、直径44インチ、1700ポンド、F型として鋳造された。
この鐘は、Constitutional Union Party (立憲連合党)のJohn Bell (大統領候補)とEdward Everlett (副大統領候補)の大統領選挙のためにつくられ、「連合、憲法、そして法の執行」という碑文が刻まれた。鐘の反対側には、「Bell and Everett, 1860」とある。その年、鐘は荷馬車に乗せられ、6頭の馬にひかれ、鐘を鳴らすための数人の男たちに伴われてMassachusettsをまわった。
Lincolnの大統領選挙での勝利後、この鐘は三位一体協会がConstitutional Union Partyの州委員会より44 High Stの火事で破損した教会への保険金とともに買い取った。三位一体協会は、もともと鐘が鋳造された際に100ドル銀貨を一緒に溶かし込むために寄付していた。1874年、鐘は30 Salem Stの改築されたMystic Congregational教会に移された。その後、劣化したNew England Baptist Churchの尖塔が撤去される1990年まで、鐘はそこにあった。その後、鐘はMeford市に買い取られて、Michael McGlynnと市評議会の尽力により、現在の場所に移された。