Medfordといえば、ボストン日本語学校が想起されるところで、ここへのアクセスは基本的には自家用車である。それとは別に、ArlingtonからMedfordへ向かうにはBus 95を利用するのが良い。Arlington Centerを出てMystic Riverを越えた後は、High Stを進んでいく。MedfordのNational Register of Historic Placesの多くは、この通り沿いにある。まずはWest Medford。Commuter Rail Lowell Lineの駅があるが、乗り継ぎは考慮されていないし、実際に乗り継ぐ人もほとんどいない。
ついで、バスはMedford Square、街の中心部に入る。
Mystic Riverは市を南北に分けている。他方、歴史的にはMiddlesex Canalの存在も無視できない。
そしてバスはMedfordの中心街を去り、Sallivan Stationへ向かう。Isaac Royall Houseの近くには、”The Mystic Congregational Church Bell”が残されている。
このベルは、Medfordの歴史の重要な一部分である。1860年、BostonのHenry N. Hooper Companyにより、直径44インチ、1700ポンド、F型として鋳造された。
この鐘は、Constitutional Union Party (立憲連合党)のJohn Bell (大統領候補)とEdward Everlett (副大統領候補)の大統領選挙のためにつくられ、「連合、憲法、そして法の執行」という碑文が刻まれた。鐘の反対側には、「Bell and Everett, 1860」とある。その年、鐘は荷馬車に乗せられ、6頭の馬にひかれ、鐘を鳴らすための数人の男たちに伴われてMassachusettsをまわった。
Lincolnの大統領選挙での勝利後、この鐘は三位一体協会がConstitutional Union Partyの州委員会より44 High Stの火事で破損した教会への保険金とともに買い取った。三位一体協会は、もともと鐘が鋳造された際に100ドル銀貨を一緒に溶かし込むために寄付していた。1874年、鐘は30 Salem Stの改築されたMystic Congregational教会に移された。その後、劣化したNew England Baptist Churchの尖塔が撤去される1990年まで、鐘はそこにあった。その後、鐘はMeford市に買い取られて、Michael McGlynnと市評議会の尽力により、現在の場所に移された。