「光珠内」

美唄市の光珠内は、1891-4年にかけて屯田兵によって開拓が始まった。兵科は砲兵だった。

06/08/2023 – 光珠内駅からは少し離れている。

線路の北東側を奥地へ進むと「地神五柱之大神」が祀られている場所がある。

06/08/2023

線路の西側に入っていくと「拓北開拓記念碑」がある。

06/12/2023
06/12/2023

開基五十年の碑文。

「昭和十四年天塩拓殖実習場第一期修了生旧名が、美唄原野を開拓し食糧増産の使命を担って入植、地名を拓北と称し開拓の鍬を入れ、続いて二期三期生も入植、然し開拓の道は厳しく春には猛烈な野火の襲来、昭和十七年には農家二戸と共同作業所を灰塵にきし悲惨を極めた、こうした苦難にも屈せず開墾に全力を尽くし、又戦争に次々と招集され苦境の中老人と女手で守り抜き終戦により開拓を再開する、昭和五十年代に至り農家経営も安定するに至った。かえりみて五十年に亘りご指導を賜った各関係機関に感謝の意を表し、更に困難を克服開拓に一生を捧げられた十数名の霊に謝意を表し御冥福を御祈りいたします。
今後我等は尊い開拓精神と不屈の愛郷心を受け継ぎここに風雪五十年を記念して碑を建て当時を偲び開拓の一頁を刻し後世に傳う。」

鉄道の東側には溜池・調整池も多くみられる。

光珠内駅にも碑が建っている。

06/12/2023
06/12/2023

碑文。

「屯田兵入植以来国鉄駅の設置は住民の願望であった
幸に町の総合開発計画と町民の協力 特に関係住民は岸本保氏を委員長とし 資金労力奉仕等総力を傾注 困難を克服し駅舎をはじめ すべての施設を完成 道内唯一の請願駅として設置された
山下久三郎氏労役奉仕指導中 列車に衝突 尊い犠牲となられた」