Quincyを歩く

ボストンの南に隣接する市。人口約102,000人。街の名は17-18世紀に活躍した政治家・軍人であるJohn Quincy (孫娘AbigailはJohn Adamsの妻) に由来している。John Adams (2代目)およびJohn Quincy Adams (6代目)の2人の大統領、さらに独立宣言の最初の署名者で、1代目と3代目の州知事を務めたJohn Hancockの出身地として知られる。1625年に植民が始まり、1792年にBraintreeから分離した。Dunkin’ Donutsの創業地。白人56%に対してアジア人が29%であり、中国系、インド系、ヴェトナム系の人々のコミュニティがある。世帯収入の中央値は2019-23で$95,711。公共交通機関としては、Red Lineが南北に走り抜けており、North Quincy, Wollaston, Quincy Center, Quincy Adamsの4つの駅がある。Quincy Centerにはコミューターレールも停車、バス路線も多数ある。NHRPはWikipediaのリストに載っているが、すでに取り壊されたものや住所の間違いが散見される。

街歩き動画。

Quincy Center

Quincy Center以外

Quincy Center

Red LineのQuincy Center駅を中心とするエリア。駅周辺はHancock Adams Commonと呼ばれる歴史地区で、歴史的建造物が多く残っており、案内板なども充実している。

Quincy City Hall

1844年に建てられたGreek Revival styleの役所。当時のQuincyは花崗岩の産地として知られており、この建物にも使用されている。Bunker Hill記念塔の設計者Solomon Willardの設計。

1305 Hancock St (02/01/2025)

United First Parish Church

1639年に形成されたUnitarian Universalist会衆の教会で、現在の建物は1828年、Alexander Parrisの設計により、Quincy産の花崗岩を使って建てられた。Greek Revival style. John Adamsと妻Abigail Adams, John Quincy Adamsと妻Louisa Catherine Adamsが埋葬されていることから、’Church of the Presidents’とも呼ばれる。

1266 Hancock St (02/01/2025)

Hancock Cemetery

1640年頃から使用され始めた市内最古の墓地。John Hancock Jr. (John Hancockの父)の名にちなんで名付けられた。

Hancock St. in Quincy Sq (02/01/2025)
埋葬されている初期(17世紀)の移民たち。(02/01/2025)
John Quincy AdamsはUnited First Parish Churchに移される前はここに埋葬されていた。(02/01/2025)

Freeman Huntの墓 (02/01/2025) – Quincy出身のジャーナリスト。オベリスク型の墓石。

Adams Building

1880-90年に建てられたJacobethan styleの商業ビル。J. Williams Bealの設計によりJohn Quincy Adams IIが建て、長い間Adams家により所有されていた。

1342–1368 Hancock St / 1–9 Temple St (02/01/2025) – 角は丸くなっており両翼を長く伸ばしている。

Quincy Savings Bank

1897年に建てられたClassical Revival styleの銀行。Quincy Savings Bankは1845年に創立、この建物は4代目の本店にあたる。1995年にCitizens Bankに買収されている。

1370 Hancock St (02/01/2025)

Granite Trust Company

1929年にJ. Williams Beal, Sonsの設計により建てられたArt Deco様式のビル。1階は花崗岩、上層階は石灰岩でできている。1912年設立のGranite Trust Companyの前身は1836年にできたQuincy Stone Bankで、これがQuincy最古の商業銀行とされる。

1400 Hancock St (02/01/2025)

Munroe Building

1929年にShepard & Stearnsの設計により建てられたColonial Revival styleの商業ビル。1階部分はショーウィンドーがメインで、2階部分は切妻屋根が目立つ。

1227–1259 Hancock St (02/01/2025)

Elks Building

1924年にJ. Williams Beal, Sonsの設計で建てられたColonial Revival styleのビル。1階は石灰岩でできており、入口にドーリア式円柱が立っている。2階はアーチ型の窓が特徴的。

1218–1222 Hancock St (02/01/2025)

Masonic Temple

1926年に建てられたNeoclassical styleのフリーメイソンの建物。複数のグループの拠点となっていた。正面の巨大な4本のイオニア式円柱が目立つ。2013年に火事が起こり、大きなダメージを受けている。

1156 Hancock St (02/01/2025)

Adams Academy

John Adams大統領はこの地に教会と学校を建設することを願い、1822年にAdams Temple and School Fundを設立した。これにより彼の死後2年目にUnited First Parish Churchが完成。ついで1869年、John Hancockの生誕の地にこの学校が建てられた。1872年に開校、しかし早くも1908年に入学者減少により閉校している。現在はQuincy Historical Societyが使用している。

8 Adams St (02/01/2024) – 手前にJohn Hancockの胸像がたつ。

Woodward Institute

1869年創設、1894年開校の女子校。Queen Anne style。 最初の設立者はJohn AdamsのいとこDr. Ebenezer Woodwardと妻Mary Ann Wroe Greenleafだった。

1098 Hancock St (02/01/2025)

Coddington School

1909年に建てられたColonial Revival styleの学校。2000年代までQuincy Collegeにより使用され、現在はQuincy School Departmentが入居している。

26–44 Coddington St (02/08/2025)

Thomas Crane Public Library

1881年に建てられた市立図書館。Henry Hobson Richardson設計によるRichardsonian Romanesque style。その後数回の改修・増設を繰り返している。Quincyの石材業者Thomas Craneを記念してCrane家の寄付により建設された。

40 Washington St (02/08/2025)
巨大な建物が並んでいる。(02/08/2025)

United States Post Office–Quincy Main

1909年に建てられたClassical Revival styleの郵便局。石灰岩が使用されている。

47 Washington St (02/08/2025)

Bethany Congregational Church

1927年に建てられたGothic Revival styleの教会。J. Williams Beal, Sonsの設計。1832年に組織された会衆のためのもので、彼らにとっては3代目の教会になる。

8 Spear St (02/08/2025)

Central Fire Station

1938年に建てられたColonial Revival styleの消防署。両端にペアになった煙突が建っているのが特徴。

26 Quincy Ave (02/08/2025)

Christ Church

1874年に建てられたTudor Revival styleの教会。地元の花崗岩が使用されている。このEpiscopal派教区は1689年に形成され1704年に正式に組織された。最初の教会はChrist Church Burial Groundの近くにあった。現在の教会は4代目の建物になる。

12 Quincy Ave (03/01/2025)

Christ Church Burial Ground

1727年に建てられた初代のChrist Churchに付属していた墓地。1833年まで使用された。

54–60 School St (02/08/2025)

Cranch School

1900年に建てられたRenaissance RevivalおよびQueen Anne styleの学校。地元の政治家Richard Cranch (1726-1811)にちなんで名付けられた。現在はアパートメントとして使用されている。

270 Whitwell St (02/22/2025)

Peacefield

Adams一家の住んだ家として知られる。もともとは1731年、奴隷労働による砂糖のプランテーションの所有者Leonard Vassallの夏の避暑地として建てられた。1788年、John Adamsがここを買い取り、以後、John Quincy Adamsを含め4代にわたりAdams家の人々が住んでいた。John Adamsは「私が助力して1783年に達成した平和、私が貢献した13年間の平和と中立、私がこの家で楽しんだ安定した平和と静けさを記念して、Peace Fieldと命名しようと思う」と書き残している。

135 Adams St (02/22/2025)
Carriage House (02/22/2025)
Stone Library (02/22/2025) – 1870年にCharles Francis Adams (John Adamsのひ孫)により建てられた。

Wollaston

Quincy Centerの北側にあり、Red LineのWollaston駅を中心とする地区。1625年、Pilgrimの規律とそりが合わず、30-40名の仲間とともにPlymouth植民地を去ったThomas MortonRichard Wollastonが最初に入植した。

Wollaston Unitarian Church

1888年に建てられたShingle Styleの教会。Edwin J. Lewis Jr.の設計。Wollastonエリアでは3番目に古い教会。

155 Beale St (02/15/2025)

First Baptist Church of Wollaston

1873年に建てられたGothic Revival styleの教会。土地はこのエリアを開発したWollaston Land Companyにより提供された。会衆が組織されたのは1871年で、同社の経営者であったGeorge Pinkhamは会衆の創設者の一人であった。

187 Warren Ave (02/15/2025)

Wollaston Congregational Church

1926年に建てられたGothic Revival styleの教会で花崗岩が使われている。会衆が組織されたのは1870年代といわれる。

47–57 Lincoln Ave (02/15/2025)

A. C. Smith & Co. Gas Station

1926年に建てられたガソリンスタンド。左側に3台分の車庫、右側がオフィスになっていた。現在は閉鎖。

117 Beale St (02/15/2025) – “Thanks for 46 years”とスプレー書きされている。

Wollaston Fire Station

1900年に建てられたItalianate styleの消防署。アーケード型の窓を持つ塔が特徴的。

111 Beale St (02/15/2025)

Wollaston Branch, Thomas Crane Public Library

1922年に建てられたThomas Crane Public Libraryの分館。Classical Revival style.

41 Beale St (02/15/2025)

Forbes Hill Standpipe

1899-1902年に建てられた貯水塔で、1,200,000 Lの水をためるスチールのタンクが収容されていた。地元の花崗岩が使われている。水はChestnut Hill Reservoirから供給されていた。

20 Reservoir Rd (02/15/2025)

Josiah Quincy House

1700年にJosiah Quincy Iにより建てられた。彼はQuincy家の一員であり、独立戦争で戦った兵士でもあった。

20 Muirhead St (03/08/2025) – 史跡として保存されている。

Massachusetts Fields School

1896年に建てられたColonial Revival styleの学校。1873年、市内の学校の質の低さが報告され、市は新たに学校を建てる政策を行った。この学校の他、Cranch Schoolもその一環である。1982年に閉校し、現在はアパートメントとなっている。

Rawson Rd and Beach St (03/08/2025)

South Quincy

このエリアはQuincy Centerの南側にあり、19世紀の花崗岩採掘業の発展と共に開発が進んだ。一部はCharles Francis Adams Sr. とJob Faxonの農場であった。

John Adams Birthplace

2代目大統領John Adamsが1735年に生まれた家。Saltboxの屋根を持つ。1681年頃、William Needhamが最初に家を建てた。JohnはここでJohn Adams Sr.の長男として生まれた。父の死後、家は次男が相続し、JohnはとなりのJohn Quincy Adams BIrthplaceに住むことになった。長らくAdams家の所有となっていたが、現在は歴史公園として保存されている。

133 Franklin St (03/01/2025)

John Quincy Adams Birthplace

6代目大統領John Quincy Adamsが生まれた家。John Adams一家が独立戦争の間住んでいた。Saltboxの屋根を持つ。1717年に建てられ、1744年にJohnの父John Adams Sr.が購入し、1761年にJohnに与えられた。John Quincy AdamsはJohnと妻Abigailの間に1767年に生まれた。現在は隣にあるJohn Adams Birthplaceとともに歴史公園として保存されている。

141 Franklin St. (03/01/2025)
家は’Presidents Ave’に接する。(03/01/2025
また’Independence Ave’にも接している。(03/01/2025)

Faith Lutheran Church

1894年に建てられたGothic Revival styleの教会。花崗岩採掘で働くために移住してきたスカンディナヴィア半島出身の人々のための教会であった。

199 Granite St (03/01/2025)

Quincy Point

Quincy Centerの東側に広がる地域で、かつてはイタリアやレバノンからの移民の中心地として知られた。現在はアイルランド系、アフリカ系、アジア系移民が多く住む。

Quincy Electric Light and Power Company Station

1902年に建てられたColonial Revival styleの発電所。1920年まで石炭火力発電所として使われた。現在、敷地内は変電所となっており、立ち入ることはできない。

76 Field St (03/08/2025) – 遠くに見えるレンガ造りの建物が旧発電所。

Quincy Point Fire Station

1941年に建てられたColonial Revival styleの消防署。Quincy Pointの消防署は、1844年、1893年に続いて、現在で3代目。

442 Southern Artery (04/22/2025)

Fore River Club House

1917年、Fore River Shipyardにより、従業員の娯楽施設として建てられた。Shingle-styleのクラブハウスで、ダンスルーム、ボウリング場、ビリヤード台などが備えられていた。1925年に市が買い取り、コミュニティセンターとして使用されている。

16 Nevada Rd (04/22/2025)

Merrymount

Quncy Centerの北側に位置するエリア。Richard WollastonThomas Mortonらにより設立されたMerrymount Colonyから名づけられている。なお、1624年に設立された最初の植民地は、わずか6年でPlymouthのピューリタンによって破壊された。

New England Telephone Building

1906年に建てられたClassical Revival styleの建物で、1924年に倍の大きさに拡張された。New England Telephone and Telegraph Companyの電話交換所として1940年まで使用され、のちにオフィスビルとなった。

10 Merrymount Rd (02/01/2025)

Mount Wollaston Cemetery

1855年に設立された墓地。Hancock Cemeteryがいっぱいになってきたためにあらたにつくられた。Civil War、米西戦争、WWI、WWII、朝鮮戦争、ベトナム戦争のモニュメントがある。

20 Sea St (03/08/2025) – Thomas Mortonの名が記されている。
Civil Warの記念塔 (03/08/2025)

Quincy Police Station

1925年に建てられたClassical Revival styleの警察署。建設費は$75,000。のちに増築されている。

442 Southern Artery (03/08/2025)

Dorothy Quincy Homestead

1686年、Edmund Quincyにより建設された屋敷であり、Josiah Quincy Houseを含む広大な農場が付属していた。Quincy家は1630年代に当地に移住、17-19世紀にかけてMassachusetts で力を持った一族であり、独立戦争中はこの屋敷がPatoriotsの集会場となっていた。

34 Butler Road (03/08/2025)

Dorothy Q Apartments

1929年に建てられたColonial Revival styleのアパートメント。隣にあるDorothy Quincy Homesteadにちなんで名付けられた。

36 Butler Rd (03/08/2025)

Furnace Brook Parkway

市の南西にあるBlue Hills ReservationとMerrymountを結ぶ道路。最初に建設されたのは1904年にさかのぼる。

Merrymount側の起点 (03/08/2025)
West Quincyにて (04/05/2025)

North Quincy

Wollastonの北側に位置し、Neponset Riverを挟んでボストンに接する。もとはBillings Plainと呼ばれ、milicia (民兵)の訓練に使用されていた。1970年代から中国系移民の流入が増え、中国語の看板も多く見かける。

Quincy School

1906年に建てられたColonial Revival styleの学校で、1932年に拡張された。1981年まで小学校として使われたが、その後民間に売却されてコンドミニアムとなった。

94 Newbury Ave (03/15/2025)

West Quincy

Quincy Centerの西側に広がる一帯で、かつて花崗岩の採掘がおこなわれ、Granite Railwayが走っていたことで知られる。

Quincy Granite Railway

1826年、Gridley Bryantの設計により、QuincyからMiltonのNeponset RiverまでGranite Railwayが建設された。1825年に計画されたBunker Hill Monument (Charlestown)の建設のため、Solomon Willardが花崗岩の供給地として選んだのがQuincyだったためである。その後、1940年に旅客輸送を終了、1941-73年にかけて廃止されている。

Bunker Hill Lane – ここを鉄道がとおっていたとされるが。。。

Quincy Granite Railway Incline

Quincy Granite Railwayの一部として、1830年にPine Ledge Quarryからの花崗岩を輸送するために傾斜面にレールが敷設され”incline”と呼ばれるようになった。現在は史跡として保存されている。

75 Mullin Ave – 右は鉄道の施設で現在は博物館となっている。

John Winthrop Jr. Iron Furnace Site

米国で最初期の鉄の高炉とされる。1644年にJohn Winthrop the Youngerにより建設が始まり、1645年に稼働を開始した。しかし、鉄鉱石は少なく、水力の供給も不十分であったため、1647年には早くも閉鎖され、Saugus Iron Worksにその役割を譲っている。

61 Crescent St (04/16/2025) – 住宅地にあり、最初は見逃してしまった。
稼働時の想像図 (案内板より)

Squantum

North Quincyの北側にある半島で、北側をBoston Bay、南東をQuincy Bayに挟まれている。古くはMassachusett族が貝などを採取していた場所で、1621年にはPlymouth植民地のMyles Standishらが当地のリーダーであったChickatawbutを訪問している。18世紀半ばにはリゾート地として栄えた。現在、Squantumの住民は市内でもっとも富裕とされ、住宅所有率も90%を越えている。公共交通機関としてはMBTA Bus 211がある。

Moswetuset Hummock

ここはMoswetuset族(Massachusett族の名前のもととなったともいわれる)のリーダー、Chickatawbutの場所であった。彼らは夏季にはこの地域に住み、Chickatawbutは部族の会議をこの場所で行ったとされる。

East Squantum St (04/23/2025)
一応公園化されているが立ち入り禁止の看板があった。(04/23/2025)