Hingham
Sharon
Sharon
Stoughton
Canton
Cohasset
Weymouth
Needham
Wellesley
Malden
Woburn
Hingham
ボストンから南西に約20kmに位置する人口約24,000人の町。1633年に入植が始まったときは”Bare Cove”(むき出しの入り江)と呼ばれていた。1635年に町として独立。イングランドのHinghamからの移民が多かったことにより、町名が決まった。初期の移民の中には、Abraham Lincolnの祖先にあたるSamuel Lincolnがいる。2022年の世帯年収の中央値は$204,946。公共交通機関としてはGreenbush Lineが利用できるほか、Quincy Centerへ向かうBus 220が北部を通っている。HullにあるNantasket Beachへ向かうBus 714もHinghamが起点である。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Old Ship Church
1681年に建てられたピューリタンの教会で、米国に現存する唯一の17世紀の同派の集会所とされる。English Gothic style。初代牧師はPeter Hobart、1679年に死ぬまで44年間務めた。敷地内には1912年に、町の275周年記念に建てられたMemorial Bell Towerが建っている。
General Benjamin Lincoln House
1665年に建てられ、大陸軍の少将Benjamin Lincolnの生家として知られる。彼は独立戦争で活躍した後は、州副知事として働いた。
Lincoln Historic District
Hingham Squareから西へ伸びるNorth StとSouth Stに挟まれるエリア。Early Republic, Late Victorian, Colonial styleの家が多く残る。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Sharon
ボストンから南西へ約27kmに位置する人口約19,000人の町。1637年に入植が始まり、1740年にStoughtonの一部となった。1775年にStoughtonham として独立、1783年にSharonと名前を変更。名前の由来はイスラエルのSharon plain。2022年の世帯年収の中央値は$181,545。公共交通機関はProvidence/Stoughton Lineの本線(Boston-Providence)にSharon駅があるのみ。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
街歩き動画。
Sharon Historic District
中心街であるPost Office Squareを主とする歴史地区。
Charles R. Wilber School
1921-2年に建てられた小学校。1928-9年に拡張され高校となった。Colonial/Classical Revival styleで、現在は集合住宅となっている。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Historic Horse Trough-Fountain
Town Officeの前にある。解説版によると、1886年にHenry F. Jenksによりつくられ、人々の集まる場所であったPost Office Squareにあったランドマークと同じものだという。ここでは馬も人も犬も水を飲むことができた。
Hammershop Dam
駅から南東に1.5kmほど離れた場所にあるHammershop Pondは、近くにあるLake MassapoagとつながるMassapoag Brookの水力を利用する拠点であった。以下は案内板から得た情報だが、18世紀前半には、すでに製粉所や製材所が稼働していたという。1801年にPaul RevereはCantonにMassapoag Brookの水力を使う綿工場を建設し、しばしば水流をチェックするためここを訪れていた。1800年代にはSamuel Hixsonがこの付近で綿織物を製造していた。のちにJohn Amesは、「市場、肉屋、靴、ナイフ」を「ハンマーでたたきだした」。その騒音がHammershop Pondの名前の由来となった。1909年には30インチの水車が500ポンドの大きなハンマーを持ち上げて落下させていたという状況であった。この工場は20世紀に火事で焼失しており、現在は歴史公園ができている。
Stoughton
ボストンから南へ約27km、プロヴィデンスからは北に50kmに位置する人口29,000人ほどの町。1713年に入植が始まり、1726年に町となった。当初はSharon、Canton、Avonなどを含む広大な領域であった。町の名前は、Salemの魔女裁判で被告に有罪判決を下したことで知られるWilliam Stoughtonからとられた。2022年の世帯年収の中央値は$98,145。公共交通機関はStoughton Lineがメインだが、土日祝は運休。そのほかBrocktonを中心とするローカルバスBrockton Area Transit (BAT)も走っている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Stoughton Station
詳細はStoughton Stationを参照。
Lucius Clapp Memorial
1903年に建てられた図書館。Renaissance Revival style。Walter Athertonにより設計され、町の教師・実業家のLucius Clappにより寄付された。現在はStoughton歴史協会が使用している。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Stoughton Trust Company
1911年に設立された銀行で、1934年にNorfolk County Trust Companyと合併した。現在残る建物は1916年(1919年ともされる)のもので、コミュニティセンターとして使われている。
Stoughton Town Hall
1881年に建てられたTown Hall。
Faxon Memorial Park
1947年にできた公園で、第一次および第二次世界大戦、その他の戦争に従軍した兵士の記念碑がある。
Canton
ボストンから南へ約24kmに位置する人口 24,000人ほどの町。Paleo-Indiansの人々が12,140年前から住んでいた地域で、1600年代にはマサチューセッツ族が季節的に居住していたが、1630-70年代のピューリタンの入植で追いやられてしまっている。町が設立されたのは1797年、Stoughtonから分離して独立した。町名の由来については、中国の広東が地球の裏側にあると信じられていたからという説がある。実際にはどちらも北半球にあるので対蹠地ではない。町の北側と東西には広大な緑地と池が保護されて残っている。2022年の世帯年収の中央値は$130,134。公共交通機関としては、コミュータレールのProvidence/Stoughton Lineがあるが、土日祝日にはCanton Center・Stoughton方面の枝線は運行されない。他にBus 716があるが、行先がMattapanなので利用がややためらわれるところである。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Canton Viaduct
1834-5年にBoston and Providence Railroad のために建設された高架橋。長さ187メートル、高さ21メートルで、完成時には世界最大の高架橋であった。Canton Riverを渡るアーチ橋で、14,483立方フィートの花崗岩が使われた。アムトラックの北東回廊を走る幹線、MBTAのProvidence Lineにより現在も交通の大動脈を担っている。
動画。
Redman Farm House
1795年に建てられた家。Robert Redmanは1722年にこの土地を原住民から譲渡されたとされる。
Canton Corner Historic District
Canton Junctionの近くにあり、18世紀に開発の中心が町の北東部から南西に移ることにより形成された。古い家も多く残るが、その建築年代は250年にもわたるという。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Canton Town Hall
Canton Public Library
Schlossberg Chapel
1897年にCanton Historical Episcopal Congregationにより建てられた教会。1970年代にSchlossberg家が買い取り、現在の名称となる。Barney “Berl Dov” Schlossbergは1878年にロシアに生まれ、1898年に米国に移住した。最初は運転手、のちにユダヤ人の葬儀を扱う葬儀屋を開業している。公式サイトはSchlossberg Chapel。
Hemenway School
1911年にできた高校。Augustus Hemenwayは1853年にボストンに生まれハーバードを卒業。慈善家・政治家であり、この学校の建設にも$20,000を寄付している。
St Oscar Romero Parish Church
教会そのものは家の左手にある。家は1901年の建物。
Canton Waterfall
Forge Pondから水が滝となって流れだしている場所。Washington Stから見ることができる。1787年に創業したKinsley Iron and Machine Companyはここの水力を利用して荷馬車の車輪などを製造していた。
Bank of Canton
広東の銀行ではない。1835年Cantonで創業したもので、米国で23番目の金融機関だという。Paul Revereの甥が1845-52年に3代目頭取となっている。
Oldest Burying Ground in Canton
1700年に設立され、1754-96年には教会も建っていたという。
The Old Parsonage
1734年に建てられ1884年に壊された。2代目の牧師Samuel Dumberがここに住み、彼は56年にわたり活動をつづけた。
Paul Revere Heritage
Neponset Riverの河岸に整備中の公園。9エーカーの広さがあり、歴史的遺物もみられる。
Cohasset
ボストンの南西約20kmに位置する人口8,300人ほどの町。もとはPokanoket族が住んでおり、のちにWampanoag、ついでMassachusett に征服されていた。西洋人の進出は1614年のJohn Smithの探検が始まりであり、1630-70年代にかけて隣のHinghamの地主による土地の占有が進んだ。1770年に町としてHinghamから独立。住民の96%が白人である。2022年の世帯年収の中央値は$178,013という。公共交通機関はコミューターレールのGreenbush Lineのみであり、Cohasset駅は中心街から3kmも離れた場所にある。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
街の動画。
Cohasset Common Historic District
文字通りCohasset Commonを中心とする歴史地区で、中心街の一部といえる。
Pratt Historic Building
1903年に個人の寄付によりPaul Pratt Memorial Libraryとして建てられた。現在はCohasset歴史協会の事務所として使われている。
Caleb Lothrop House
1821年に建てられたFederal stylingの家で、端がレンガ壁になっているのは町で唯一であるという。Calep Lothropは独立戦争の指揮官の孫で、最初期の移民の子孫でもあった。
Government Island Historic District
町の東側、Cohasset湾が内陸に入り込んでいるエリア。Minot’s Ledge Lightの陸上の拠点として使われていた場所で、元の灯台守の家も保存されている。現在は海水浴場としてにぎわう。
Capt. John Wilson House and Bates Ship Chandlery
Wilson HouseとBates Ship Chandlery (船具倉庫)の2件が並んでいる。前者は1810年に建てられたもので、WilsonはCohassetで船を操る船長だった。後者は1754年に建てられたとされ、もとは海沿い(Bates Wharf)にあったが1957年に現在地に移された。現在はCohasset歴史協会により管理されている。
Cohasset Central Cemetery
1705年から使用されている墓地。最初期の移民・Ibrook&Margaret Tower夫妻、Sarah Prattらが埋葬されている。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Saint Stephens Parish Church
中心街のランドマーク。1901年建設の教会。
Hingham Institution for Savings
1834年設立のHinghamの銀行。Cohasset支店は1898年の建築。2つの町の関係が深いことがうかがえる。
Weymouth
ボストンの南約20kmに位置する人口57,000人ほどの市。Plymouthについでマサチューセッツでは2番目に早く植民が始まった(1622年)。名前の由来については、イングランドの同名の町であるという説と探検家George Weymouthからとられているという説がある。2022年の世帯年収の中央値は$95,879という。西側のWeymouth Landing、東側のEast Weymouthにはコミューターレール・Greenbush Lineの駅があり、バス路線としてはQuincy Centerへ向かう222と225が利用できる。南側のSouth WeymouthにはKingston Lineが通り、Bus 226も利用できる。海に面するNorth Weymouthは、鉄道のある南側からアプローチするにはやや不便だが、Quincy CenterとHinghamの街を結ぶBus 220が通っている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
街の動画。
United States Post Office-Weymouth Landing
Weymouth Landingにある郵便局。1941年の建設。
Old South Union Church
1721年にSouth Weymouthに会衆派が形成され、1785年に最初の教会が建てられた。現在の教会は、1853-4年に建てられたものが1989年に火事で焼失し、これを復元したもの。Greek Revival style。
Fogg Library
1897年に建てられたRenaissance Revival styleの図書館。 Cutting, Carleton & Cuttingの設計。地元の実業家John S. Foggの寄付で建設され、Weymotuh Public LibraryのSouth Weymouth地区における分館として使用されている。
Fogg Building
1887年に建てられたRichardsonian Romanesque styleのビル。地元の実業家John FoggによりJ. Williams Bealの設計で建設された。もとはパフォーマンスや集会の場所などとして使用されていたが、現在はアパートメントとなっている。
Pond Street School
1928年に建てられたColonial Revival styleの学校。1964年に初代校長の名にちなんでAlice E. Fulton Schoolと改称、1991年まで小学校として使われた。
Sea Street Historic District
North Weymouth地区の300年の歴史が集約されている地区とされる。SEA STREET HISTORIC DISTRICTも参照。
John Adams School
1855年に建てられたWeymouthで最初の学校。Greek Revival/Italianate style。
Weymouth Meeting House Historic District
First Church in Weymouthを中心とする歴史地区。1723年までは市の中心であり、1833年まではNorth Weymouth地区の中心であった。
Weymouth Civic District
Town Hallを中心とする歴史地区。
Jefferson School
1889年に建てられたQueen Anne styleの学校。Washington Schoolと同じくShepard S. Woodcockの設計。
Central Square Historic District
1850-70年にかけて建てられた靴職人たちの家が残っているとされる。この時代には靴製造は手工業であり、この地域に小規模な製造業者が集まっていた。East WeymouthからWeymouth Landingに向かう途中にあるエリア。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Union Congregational Church
1898年建築の教会。Weymouth Landingにある。この教会の歴史はHistory of Union Congregational Churchに詳しい。
Sacred Heart Church in Weymouth
1882年に建てられたカトリック教会。Weymouth Landingにある。
Reed Cemetery
1769年から使用されている墓地。最も古い埋葬者はFrench-Indian戦争(1754-63)での戦死者にまでさかのぼる。独立戦争の戦死者も埋葬されている。
Stetson Shoe Company
1885年にできたWeymouth最後の靴工場。1971年まで操業。創業者はStetsonとHeald。現在は病院となっている。
East Weymouth Congregational Church
1822年、East Weymouth Methodist Episcopal Churchとして組織され、1825年に最初の礼拝所が建てられた。現在の教会の築年は不明。
Rice Tavern
1770年代はじめに建てられたTavernでJosiah Riceにより運営された。BostonとPlymouthの中間にある宿屋として重宝された。Weymouthのサイトも参照。
Commercial Building in East Weymouth
Needham
ボストンの南西18kmほどに位置する人口約32,000人の町。1681年、ネイティブ・アメリカン部族のリーダーNehoiden から土地を買収して開拓が始まった。1711年にDedhamから分離して成立。1881年に西側がWellesleyとして分離している。町の名前は、イングランドのNeedham Marketからとられた。2022年の世帯年収の中央値は$206,261とされる。交通機関としては、Watertown SquareからNewtonを抜けてやってくるBus 59、およびSouth Stationから伸びているコミューターレールのNeedham Lineがあり、駅は4つ設置されている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Emery Grover Building
1898年に町で最初の高校として建てられた。Renaissance Revival style。Emery Groverは法律家・判事であり、行政委員、教育委員会のメンバーとしても長く活躍した。現在は町の公立学校の事務局となっている。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。
Needham Town Hall Historic District
Town Hallを中心とする歴史地区。Town Hallは1902年建築で、Winslow & Bigelowの設計。このあたりが現在の町の中心であり、商店や教会が多く集まる。
Kingsbury-Whitaker House
1720年頃にDeacon Timothy Kingsburyにより建てられた。彼はNeedham設立のリーダーであった。1839年に彼の子孫がEdgar Whitakerに家を売却、Whitakerは家を大きく改装した。彼はボストンの実業家で、地元の政治でも活躍している。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。
Davis Mills House
1834年に建てられたGreek Revival styleの家。Davis Millsは町の大地主の一族で、精肉業者、タバーン経営者でもあり、政治的活動も行った人物。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。
Robert Fuller House
1707年に建てられたFirst Period styleの家で、Needhamでは最古のものとされる。Saltbox様式(片側が低い)の屋根を持つ。Robert Fullerは最初期の移民の一人。
以下はNRHPに指定されていないもの。
Needham Trust bank
1934年にボストンから来た3人により銀行強盗が行われた。警官2名が犯人により射殺されている。マサチューセッツにおけるマシンガンを使った最初の犯罪とされる。犯人はすぐに捕まり処刑された。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。
First Parish in Needham
最初の教区教会(Parish)はDedhamから分離する形で1711年に形成された。当初はもっと西のエリアに教会があり、3代目の建物が1836年に建てられた。鉄道の開通とともに町の中心が西に移動したため、この教会が1878年に現在地に移設されている。Needham History Center & Museumも参照。
First Baptist Church
最初の会衆派は1780年に結成されたが1795年にいったん解散している。1838年に再結成され、1854年に教会の建設が始まっている。Needham History Center & Museumも参照。
Needham Branch Library
Needhamに公共図書館ができたのは比較的遅く、1916年であった。利用者が急速に増加したため1945年に分館が中心街に建てられた。しかし資金不足のため1985年に閉館、現在は商業施設となっている。Needham History Center & Museumも参照。
Needham Centerの商業施設
Wellesley
ボストンの西20kmほどに位置する、人口約29,550人の町。1600年代にDedhamの一部として入植が始まり、のちにNeedhamの一部となった。1881年に町として独立。交通機関としては、コミューターレールのFramingham/Worcester Lineの駅が3つあり、MWRTAのバスも走っている。世帯年収は中央値で$250,000 (2022)と高値である。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Wellesley Town Hall
1881-6年に建てられたRomanesque styleの役場。Shaw & Hunnewellの設計。土地はH. H. Hunnewellにより寄付されたもの。
Wellesley Congregational Church and Cemetery
1918-22年に建てられたGeorgian Revival styleの教会。Carrère and Hastingsの設計。この地に建つ教会としては4代目となる。Wellesley Sqのランドマーク。
Fuller Brook Park
1899年に線状の公園として設立され、1930年代に完成した。John Charles Olmstedによるデザイン。
Wellesley Hills Branch Library
Wellesley Hills地区にある図書館の分館で、1928年に完成した。
Intermediate Building
1894年、Hartwell and Richardsonの設計により建てられたRomanesque stylingのビル。Wellesley Hills地区にある。Wellesley高校の初代の建物であり、のちに町役場の別館、現在はシニア層のためのアパートメントになっている。
Elm Park and Isaac Sprague Memorial Tower
Wellesley Hillsにある公園で、1928年に建てられた時計塔・Sprague Towerがある。塔の上にある鐘は1874年のもの。Isaac Spragueは塔の建設委員会のメンバーで、資材を提供した人物。
Eaton-Moulton Mill
Wellesley Lower Falls区域にある工場。1853年頃に建てられ、製紙機械を製造していた。このエリアは18-19世紀、隣にあるNewton Lower Fallsとともに製糸工業が盛んであった。現在はオフィスビルとして使用されている。
Malden
17世紀から入植が始まったボストンの北側に位置する市。名前はイングランドのMaldonにちなんでいるという。人口66,000人、世帯年収は中央値で$90,000 (2022)ほど。交通の要衝であり、地下鉄Orange LineのMalden Center駅、終点のOak Grove駅を擁する。両駅ともコミューターレールHaverhill Lineの停車駅でもあり、さらに多数のバス路線の起点、中継点となっている。日本人は見かけないが、中国系をはじめアジア人が多いことでも知られる。NRHPはwikipediaのリストに載っている。ほとんどがMalden Center周辺にある。
Bell Rock Memorial Park
1910年にFrederick Law Olmsted Jr.により設計された公園。Civil Warを記念して彫刻家Bela Prattにより制作された”The Flag Defenders”の彫像が建つ。
Common Burying Ground at Sandy Bank
1649年に設立された市内最古の墓地。Michael Wigglesworth(ピューリタンの牧師で「The Day of Doom」という詩で知られる)が埋葬されている。
Charles A. Daniels School
1907年に建てられたTudor Revival styleの学校。Malden Centerからはやや離れた場所にある。
Converse Memorial Building
1883-5年に建てられたもので、1885-1996年まで図書館として使用されていた。Henry Hobson Richardsonの設計。Elisha S. and Mary D. Converseが、北米最初の銀行強盗で殺害された息子Frank Eugene Converseの悼んで寄付したものである。
Waite Brick Block
1848年に建てられ、市内では最古のレンガ造りのビルである。Greek Revival style。
Odd Fellows Building
1907年に建てられたビル。Newhall & Blevins建築事務所のLouis C. Newhallが設計した。友愛団体Independent Order of Odd Fellowsのために建設されたもの。
St. Paul’s Parish Church
1913年に建てられたGothic Revival styleの教会。Ralph Adams Cramによる設計。
Browne-Masonic Building
1894年代に建てられたClassical Revival styleのビル。Hartwell and Richardson事務所の設計。フリーメイソン、Independent Order of Odd Fellowsをはじめ様々な友愛団体のオフィスが入居していた。現在は下層階は商店、上層階は住居となっている。
Wilbur Fiske Haven House
1860年代に建てられたSecond Empire styleの家。Wilbur Fiske Havenはボストンの商人で、Malden Centerに鉄道ができた時代に家を建てたのであった。のちに住んだWilliam Fergusonは鉄道敷設の請負業者だった。建物はのちに葬儀場となり、現在はオフィスとして使用されている。
Woburn
ボストンから北へ14kmほど離れた市。1640年代より植民が始まった古い街で、当初は広大な区域を有していた。のちにWlimington、Burlington、WinchesterがWoburnから分離して設立されている。交通はWinchester同様、Bus134がメインとなるが、日曜日は辺境のNorth Woburnには至らず、中心街のWoburn Squareが終点となる。コミューターレールLowell LineのMishawum駅からは2マイル、Anderson/Woburn駅からは4マイルほど市街地より離れており、両駅へのアクセスはない。世帯年収は中央値で$104,780 (2022)。NRHPはwikipediaのリストに載っている。
Woburn Public Library
1876-9年にかけて建てられた図書館。Henry Hobson Richardsonの設計によるRomanesque Revival style。17世紀にさかのぼる街の古文書を所蔵していることでも知られる。
United States Post Office–Woburn Center Station
1911年に建てられたClassical Revival styleの郵便局。
Middlesex Canal
この運河はNew Hampshire州を流れるMerrimack Riverからボストン港を結ぶもので、1790年頃から計画が持ち上がり1808年にMerrimackの町まで全通した。しかしその繁栄は短く、鉄道の時代の始まりとともにその有用性は激減し、1851年に利用停止となった。経路であったSomerville, Medford, Winchesterにはその遺構がありNRHPにも指定されているのだが、今まで見つけることができないでいた。今回、North Woburnで初めて運河の遺構を見つけたので掲載する。
上の地図ではMain Stを北上すればNorth Woburn、南下すれば中心街に至る。そして地図上の水路が運河跡である。Kiwanis Parkには記念碑、Main Stをはさんで向かい側には運河建設を主導したBaldwinの像が立っている。
公園内にあるプレートの内容
Middlesex Canalに沿ったこの地点には「Baldwin Landing」という、Loammi Badlwin大佐のプライベートの船着き場があった。彼は運河技師であり、独立戦争の将校であり、Baldwinのリンゴの「父」でもあった。
Baldwinの「屋敷」は、このNorth Woburnにある150エーカーの牧草地、耕作地、果樹園であった。静かな田舎の土地であり、水際まで広がった英国風庭園の散歩道、低木、花々の中に大佐の邸宅があった。
この「上陸地」から、Baldwinは農場でとれたリンゴや他の作物を、ボストンの市場に送るために運河の運搬船に積み込んでいた。
Baldwin大佐が頻繁に開催する舞踏会や夕食会に参加するために、大勢の客がボストンから運河船でここへやってきていた。
現在残っている水路。
これが運河だったとは、言われなければ決してわからなかっただろう。
First Congregational Church in Woburn
1642年に創設された教会で、現在の建物は6代目、1860年に建てられたItalianate styleのものである。
First Burial Ground
1646年から使用されている市内最古の墓地。Baldwin一族など街の有力者が埋葬されている。
左上にうつっている看板の内容。
「この古い墓地はWoburn最初期の市民の遺体が埋葬されている。彼らは新しいより良い生活を求めて野生の土地に入っていった勇敢な男たち、女たち、子供たちであった。
彼らはわれわれの街の創設者であり、Johnson, Richardson, Brooks, Convers, Carter, Fowle, Pierce, ReedそしてWymanといった人々であった。彼らは牧師であり、兵士であり、農民であり、医師であり、強く活気のある街を創設した政治家でもああった。
ここに埋葬された優れた人々の中には、8人の米国大統領の先祖たち、軍事指導者Loammi Baldwin大佐、そして独立戦争においてWoburn市民の最初の戦死者Daniel Thompsonがいる。
われわれは彼らの決断と勇気を称える。未来の世代にも記憶されんことを。」
Loammi Baldwin Mansion
この邸宅は、もともと1661年にWoburnの最初の入植者の一人、Henry Baldwinにより建てられた。1803年、彼のひ孫のLoammi Baldwinが大拡張を行い、付属する212エーカーの土地には庭がつくられたが、現在はその痕跡は残っていない。Baldwin家は6代にわたってここに住み続けたが、1930年代に所有権を手放している。現在は中華レストランとなっている。
1790 House
1790年、弁護士Joseph Bartlettのために建てられたFederal Styleの家。もとはMiddlesex Canalの岸にあり、今でも近くに運河跡がある。完成直前にLoammi Baldwinが購入。彼は独立戦争で戦った軍人だが、のちに5人の息子たちとともにエンジニアとして活躍した。その後は1815年にHall J. Kelleyがここで学校を経営するなど、変遷をたどりながらも、現在はオフィスとして使用されている。
Count Rumford Birthplace
物理学者・発明家として活躍、神聖ローマ帝国のRumford伯、英国のSirの称号を得たBenjamin Thompsonの生家で、North Woburnにある。彼は、同じくNorth Woburnに住んでいたLoammi Baldwin(Middlesex Canalの工事に尽力した)とともに、しばしば10マイル歩いて、Harvard CollegeのJohn Winthrop教授の講義を聞きに行ったという。
Jack’s Diner
1952年にWorcester Lunch Car Companyにより製造されたダイナー。SomervilleのRosebudと同じ会社によるダイナーである現在はタイ料理店となっている。