「沼田町探訪記 – 東予編1」

沼田町営バス 東予線は沼田町の東部をぐるりとまわる路線である。地図(町のサイト)でみると、石狩沼田駅から全線を歩いて再び駅に戻るのは、やや重荷のような感じがする。ちなみに2023年6月には雷で撃退されている。どう行けばよいものかと思案していると、地図の右端に「下多度志」とあるのが目に入った。となると、JRバス・深名線で多度志まで行き、そこから歩いて東予に入るのが良いのかもしれない。東予線の端、東予会館付近と多度志の間は最短コースで約4kmである。

2025年9月15日、深川発11時35分のバスに乗り、12時前に「多度志神社前」で下車、東へ歩き始める。

多度志神社前 (09/15/2025)

まもなく雨竜川を渡り、沼田町に入る。

09/15/2025
09/15/2025

中島地区をめぐってから共成に入ると、共成神社の碑がある。

09/15/2025 – 神社はこの先。

付近には「共成農村公園」がある。旧共成小中学校の跡地である。

09/15/2025 – 校歌を記した碑がある。
さざれ石 (09/15/2025)

碑文

細石(さざれ石)の由来
 国歌 君が代に詠まれた さざれ石と青石を記念碑に寄せられた 浄財の一部をあて この校庭に碑と共に 永く残すこととした
 共成の伝統精神なる「小石も集まりて団結一丸となり巌ともなる」母校は無くなっても 同窓生各位と郷土 共成の永遠の発展を祈って茲に記す

沼田小中学校の跡 (09/15/2025)

「校史」の碑文

共成小学校は 東予 東竜両教育所を合併し明治四十二年九月二十一日創立 翌四十三年五月 校舎を新築し 児童数百六十七名を以って授業を開始した。
その後開拓の業進み 大正五年六月農業補習学校を敷設大正十年高等科を設置し共成尋常高等小学校として その基礎を固めた。
大正十五年七月青年訓練所 同十二月女子実業補習学校を開設 昭和十年国の制度に基き共成青年学校として改組された。
昭和十六年第二次世界大戦に突入 国家総動員態勢のもと 共成国民学校と改称 斯くて昭和二十年終戦を迎え国の制度も大きく変革し 義務教育制度も又変り 昭和二十二年四月 共成小学校 中学校として新発足した。
昭和二十五年小中校で五百三十一名 前世紀となる 昭和四十三年生徒数の減少により中学校を沼田中学校に 昭和四十九年四月小学校も又沼田小学校に統合した。時に児童数 百八名であった。
思へば創立以来六十四年 卒業生二千三百七十八名 その輝く歴史を閉じた 乃ち茲にこの碑を建て永く栄光を伝える。

共成コミュニティセンター (09/15/2025) – 地神がまつられている。

少し北に進むと共成神社がある。

共成神社 (09/15/2025)

共成神社を過ぎ、更進地区へ向かう。沼田奔川を渡る。

沼田奔川 (09/15/2025)
沼田奔川 (09/15/2025)

更新地区は豊かな農村で、案内板がたっている。

09/15/2025

やがて道はポンニタシベツ川を越える。

ポンニタシベツ川 (09/15/2025)
ポンニタシベツ川 (09/15/2025)

更新地区を出て国道275号に向かう際に、もう一度沼田奔川を渡る。ポンニタシベツ川は沼田奔川に合流する。

沼田奔川 (09/15/2025)
沼田奔川 (09/15/2025)

国道275号を西に進むと沼田市街地の手前に「田島公園」がある。

田島公園 (09/15/2025)

このモニュメントの裏にある「公園由来」によると、

 この公園用地27.454平方米は富山県人田島五三郎氏の寄贈による。氏は、明治9年富山県西砺波郡に生まれ、明治27年本町開拓の祖沼田喜三郎氏と共に入地、開拓の業に携さわる。性豪放闊達 人情又厚く、初代消防組頭、村総代、村会議員等を歴任し公共に尽くす。晩年孤独の生活を続け、昭和27年病床に臥すや原始の森を残こすこの地を町に寄贈し、78才の生涯を閉じる。
その篤志まことに感謝に堪へす、乃ち田島公園と名づけ永くその徳を讃へる。

公園の奥に「水利恵民」の碑が建つ。

田島公園 (09/15/2025)

いわく、

抑々沼田町水田の発祥は遠く明治二十七年開拓の祖沼田喜三郎氏により字口美葉牛に試作せるに始る
沼田土功組合は明治の末年畑地力の減耗を憂い先覚辻村高蔵氏等五名相謀りて之を劃策し大正三年四月創立し幾多の苦難を嘗めて大正六年九月灌漑溝竣功す 次て大正十年より三ヶ年に亘り溝路の第一期改良工事を施行 更に昭和二年より七ヶ年に亘り第二期改良工事を施行す その水源は清流雨龍川に求め對岸多度志村宇摩団体に導水門を設け下流七百五十米付近に於て河底を弯管にて横断し溝路蜿蜒二萬米支線二萬三千米満々の水を湛えて悠々と流れ地区内水田壱千町を灌漑す春は耕転の声賑しく秋は黄金の波千里之実に創立当時の発起人諸氏又心魂を傾けられし元理事辻村髙蔵氏外役員議員諸氏と就職以来三十有余年今日に及べる技師矢萩荘作氏始め各職員が奉公の賜にして今や町内各土功組合用水組合を統合して土地改良として発足するに当り元沼田土功組合関係者相謀り乃ち其由来と其功を併せ録して茲に誌す

基盤整備記念碑

田島公園 (09/15/2025)

 先覚の諸賢さきに雨竜川の清流を引き惨憺たる苦心の後漸く豊かに波打つ稲穂に歓喜してよりここに六十年 時は流れ世代移って営農型態も亦大きく変り家区画の圃場に大型農機の自在に走り代を掻き苗を植えてコンバインが一挙に穫り入れライスセンターに運ぶは正に隔世の感を深くする、
この圃場基盤は雨竜川農業水利改良事業を始め国営、道営、団体営を総ゆる機会を得 積極的に進めてきた用排水施設事業を基調として挙町一致で推進した圃場整備と構造改善事業の成果である。
吾等茲に更めてこの礎石を築かれた父祖の遺功を偲びつつこの事業の概観を録して永く後世に之を伝え以って当区運営の資に為さんとす。

基盤整備記念碑の裏側にも碑文がある。いわく、

 沼田町土地改良区は組織変更の後、貯水池新設、国営灌漑事業その他用排水施設改修等基幹事業が相次いで行なわれ、創立50年を迎えた昭和39年には2850haの水田を擁するに至った。
時隅々農業基本法の下、農業構造の改善が進められ基盤整備の総括となる圃場整備事業が施行されることとなり、本町では38年より施行の構造改善区画整備事業で428ha、42年より施行の道営圃場整備事業で167.2hs、更に46年着工の国営農地開発事業が完了するとき619haが整備され本土地改良区の地区の殆どが平均40haの整然とした大型水田に変貌し春耕より収穫まで機械化一貫作業による近代的大規模経営の基盤を整え食糧基地たるに相応しくその面目を一新するであろう。
今これらの推移と概要を誌す。
 ※道営圃場整備事業  昭和39年6月、西森町長を委員長に土地改良区理事長、農業協同組合長を副委員長とした3団体医による推進協議会が発足、42年高穂、更新の2地区採択となり同年待望の工事に着工。
しかし非耕期の春秋施工のため期間短かく又天候条件に恵まれず施工員の苦労は並々ならぬものがあった。
翌43年には受益者が相互據出の休作補償による夏工事を行ない大いに成果を挙げ国の施策に先鞭する。又同年沼田地区の採択とともに協議会事務局を解散し土地改良区がこれを引継ぐ 以後津川直一理事長野与作専務理事に卆いられ募員克く年間9億円に及んだこの事業を恙なく完了させた職員諸氏の労を多とする。
 ※農業構造改善事業  沼田町農業協同組合が事業主体となり昭和38年から第1次事業を 45年から第2次事業を実施、圃場の整備とライスセンター建設、大型機械導入等が行なわれたが 概ね40ha単位 適正規模の共同利用組織は沼田方式として髙い評価を受けた。
 ※用排水施設事業  昭和25年鷹泊ダム築設計画と併せて雨竜川農業水利改良事業が起工されたのを始め貯水池新設、施設の改築補強等相次じて行なわれ、灌漑用水は一応安定したが更に施行中の雨竜川中央地区土地改良事業が竣功するとき整備された圃場に適応した用水確保がなされ水系6市町と共に米作中核地帯たる地位を不動にするであろう。

他にもいくつか碑がある。

木恩百年の碑 (09/15/2025)
土地改良区の記念碑 (09/15/2025)

碑文。

明治27年 富山県より沼田喜三郎氏ら18戸入植
明治28年 稲作始まる
大正3年 上北竜土功組合創立後に沼田土功組合
大正6年 雨竜川より取水開始
昭和24年 全町水利統合(賦課面積1,342.8ha 組合員数737名)
明治29年 沼田第1頭首工完成 取水開始
昭和50年 幌新ダム完成
昭和52年 北竜町美葉牛地区編入(賦課面積3,480ha 組合員数603名)
平成4年 沼田ダムの完成
平成26年 現在(賦課面積3,410.9ha 組合員数215名)
幾多の辛酸を克服し現在の基を築いた多くの先人たちに心から感謝申し上げここに100年を刻む
平成26年8月14日 建立

耕雲の歌碑 (09/15/2025)

碑文。

本名 髙橋喜作 大正五年沼田町字真布に生る 若くして文芸に親しみ 俳人協会会員
 俳誌「道」「アカシヤ」同人 沼田俳句会会長として後進の指導に当る 又歌誌「新墾」同人 「文芸沼田」の編集にも携る 昭和五十年沼田町文化連盟設立以来副会長に就く
 「沼田観光音頭」 「沼田消防団歌」 「沼田幼稚園歌」等の作詞者として活躍するが惜しくも昭和五十七年十一月六十六歳で歿す ここに その遺功を讃え有志相図り句碑を建立す
昭和五十九年十一月

田島公園で休憩した後は、一路沼田駅を目指す。留萌本線を踏切で越える。線路の表面が鈍い鉛色で光り、列車がたしかに運行されていることがわかる。廃止のあかつきには、このレールもたちまち錆びついて、まもなく撤去されてしまうのだろう。

石狩沼田駅方向 (09/15/2025)
深川方向 (09/15/2025)

1時間ほど沼田市街地を見物してから、沼田発16時05分の中央バス・沼田線で深川に戻る。JRのほうは16時40分発だったが、さすがにこれ以上待つことはしなかった。

この日歩いたコース。(黒線)

この日歩いた動画。