Wellesley
Malden
Woburn
Wellesley
ボストンの西20kmほどに位置する町。人口約29,550人の町。1600年代にDedhamの一部として入植が始まり、のちにNeedhamの一部となった。1881年に町として独立。交通機関としては、コミューターレールのFramingham/Worcester Lineの駅が3つあり、MWRTAのバスも走っている。世帯年収は中央値で$160,000と高値である。NRHPはWikipediaのリストに載っている。
Wellesley Town Hall
1881-6年に建てられたRomanesque styleの役場。Shaw & Hunnewellの設計。土地はH. H. Hunnewellにより寄付されたもの。
Wellesley Congregational Church and Cemetery
1918-22年に建てられたGeorgian Revival styleの教会。Carrère and Hastingsの設計。この地に建つ教会としては4代目となる。Wellesley Sqのランドマーク。
Fuller Brook Park
1899年に線状の公園として設立され、1930年代に完成した。John Charles Olmstedによるデザイン。
Wellesley Hills Branch Library
Wellesley Hills地区にある図書館の分館で、1928年に完成した。
Intermediate Building
1894年、Hartwell and Richardsonの設計により建てられたRomanesque stylingのビル。Wellesley Hills地区にある。Wellesley高校の初代の建物であり、のちに町役場の別館、現在はシニア層のためのアパートメントになっている。
Elm Park and Isaac Sprague Memorial Tower
Wellesley Hillsにある公園で、1928年に建てられた時計塔・Sprague Towerがある。塔の上にある鐘は1874年のもの。Isaac Spragueは塔の建設委員会のメンバーで、資材を提供した人物。
Eaton-Moulton Mill
Wellesley Lower Falls区域にある工場。1853年頃に建てられ、製紙機械を製造していた。このエリアは18-19世紀、隣にあるNewton Lower Fallsとともに製糸工業が盛んであった。現在はオフィスビルとして使用されている。
Malden
17世紀から入植が始まったボストンの北側に位置する市。名前はイングランドのMaldonにちなんでいるという。人口66,000人、世帯年収は中央値で$46,000ほど。交通の要衝であり、地下鉄Orange LineのMalden Center駅、終点のOak Grove駅を擁する。両駅ともコミューターレールHaverhill Lineの停車駅でもあり、さらに多数のバス路線の起点、中継点となっている。日本人は見かけないが、中国系をはじめアジア人が多いことでも知られる。NRHPはwikipediaのリストに載っている。ほとんどがMalden Center周辺にある。
Bell Rock Memorial Park
1910年にFrederick Law Olmsted Jr.により設計された公園。Civil Warを記念して彫刻家Bela Prattにより制作された”The Flag Defenders”の彫像が建つ。
Common Burying Ground at Sandy Bank
1649年に設立された市内最古の墓地。Michael Wigglesworth(ピューリタンの牧師で「The Day of Doom」という詩で知られる)が埋葬されている。
Charles A. Daniels School
1907年に建てられたTudor Revival styleの学校。Malden Centerからはやや離れた場所にある。
Converse Memorial Building
1883-5年に建てられたもので、1885-1996年まで図書館として使用されていた。Henry Hobson Richardsonの設計。Elisha S. and Mary D. Converseが、北米最初の銀行強盗で殺害された息子Frank Eugene Converseの悼んで寄付したものである。
Waite Brick Block
1848年に建てられ、市内では最古のレンガ造りのビルである。Greek Revival style。
Odd Fellows Building
1907年に建てられたビル。Newhall & Blevins建築事務所のLouis C. Newhallが設計した。友愛団体Independent Order of Odd Fellowsのために建設されたもの。
St. Paul’s Parish Church
1913年に建てられたGothic Revival styleの教会。Ralph Adams Cramによる設計。
Browne-Masonic Building
1894年代に建てられたClassical Revival styleのビル。Hartwell and Richardson事務所の設計。フリーメイソン、Independent Order of Odd Fellowsをはじめ様々な友愛団体のオフィスが入居していた。現在は下層階は商店、上層階は住居となっている。
Wilbur Fiske Haven House
1860年代に建てられたSecond Empire styleの家。Wilbur Fiske Havenはボストンの商人で、Malden Centerに鉄道ができた時代に家を建てたのであった。のちに住んだWilliam Fergusonは鉄道敷設の請負業者だった。建物はのちに葬儀場となり、現在はオフィスとして使用されている。
Woburn
ボストンから北へ14kmほど離れた市。1640年代より植民が始まった古い街で、当初は広大な区域を有していた。のちにWlimington、Burlington、WinchesterがWoburnから分離して設立されている。交通はWinchester同様、Bus134がメインとなるが、日曜日は辺境のNorth Woburnには至らず、中心街のWoburn Squareが終点となる。コミューターレールLowell LineのMishawum駅からは2マイル、Anderson/Woburn駅からは4マイルほど市街地より離れており、両駅へのアクセスはない。世帯年収は中央値で$55,000。NRHPはwikipediaのリストに載っている。
Woburn Public Library
1876-9年にかけて建てられた図書館。Henry Hobson Richardsonの設計によるRomanesque Revival style。17世紀にさかのぼる街の古文書を所蔵していることでも知られる。
United States Post Office–Woburn Center Station
1911年に建てられたClassical Revival styleの郵便局。
Middlesex Canal
この運河はNew Hampshire州を流れるMerrimack Riverからボストン港を結ぶもので、1790年頃から計画が持ち上がり1808年にMerrimackの町まで全通した。しかしその繁栄は短く、鉄道の時代の始まりとともにその有用性は激減し、1851年に利用停止となった。経路であったSomerville, Medford, Winchesterにはその遺構がありNRHPにも指定されているのだが、今まで見つけることができないでいた。今回、North Woburnで初めて運河の遺構を見つけたので掲載する。
上の地図ではMain Stを北上すればNorth Woburn、南下すれば中心街に至る。そして地図上の水路が運河跡である。Kiwanis Parkには記念碑、Main Stをはさんで向かい側には運河建設を主導したBaldwinの像が立っている。
公園内にあるプレートの内容
Middlesex Canalに沿ったこの地点には「Baldwin Landing」という、Loammi Badlwin大佐のプライベートの船着き場があった。彼は運河技師であり、独立戦争の将校であり、Baldwinのリンゴの「父」でもあった。
Baldwinの「屋敷」は、このNorth Woburnにある150エーカーの牧草地、耕作地、果樹園であった。静かな田舎の土地であり、水際まで広がった英国風庭園の散歩道、低木、花々の中に大佐の邸宅があった。
この「上陸地」から、Baldwinは農場でとれたリンゴや他の作物を、ボストンの市場に送るために運河の運搬船に積み込んでいた。
Baldwin大佐が頻繁に開催する舞踏会や夕食会に参加するために、大勢の客がボストンから運河船でここへやってきていた。
現在残っている水路。
これが運河だったとは、言われなければ決してわからなかっただろう。
First Congregational Church in Woburn
1642年に創設された教会で、現在の建物は6代目、1860年に建てられたItalianate styleのものである。
First Burial Ground
1646年から使用されている市内最古の墓地。Baldwin一族など街の有力者が埋葬されている。
左上にうつっている看板の内容。
「この古い墓地はWoburn最初期の市民の遺体が埋葬されている。彼らは新しいより良い生活を求めて野生の土地に入っていった勇敢な男たち、女たち、子供たちであった。
彼らはわれわれの街の創設者であり、Johnson, Richardson, Brooks, Convers, Carter, Fowle, Pierce, ReedそしてWymanといった人々であった。彼らは牧師であり、兵士であり、農民であり、医師であり、強く活気のある街を創設した政治家でもああった。
ここに埋葬された優れた人々の中には、8人の米国大統領の先祖たち、軍事指導者Loammi Baldwin大佐、そして独立戦争においてWoburn市民の最初の戦死者Daniel Thompsonがいる。
われわれは彼らの決断と勇気を称える。未来の世代にも記憶されんことを。」
Loammi Baldwin Mansion
この邸宅は、もともと1661年にWoburnの最初の入植者の一人、Henry Baldwinにより建てられた。1803年、彼のひ孫のLoammi Baldwinが大拡張を行い、付属する212エーカーの土地には庭がつくられたが、現在はその痕跡は残っていない。Baldwin家は6代にわたってここに住み続けたが、1930年代に所有権を手放している。現在は中華レストランとなっている。
1790 House
1790年、弁護士Joseph Bartlettのために建てられたFederal Styleの家。もとはMiddlesex Canalの岸にあり、今でも近くに運河跡がある。完成直前にLoammi Baldwinが購入。彼は独立戦争で戦った軍人だが、のちに5人の息子たちとともにエンジニアとして活躍した。その後は1815年にHall J. Kelleyがここで学校を経営するなど、変遷をたどりながらも、現在はオフィスとして使用されている。
Count Rumford Birthplace
物理学者・発明家として活躍、神聖ローマ帝国のRumford伯、英国のSirの称号を得たBenjamin Thompsonの生家で、North Woburnにある。彼は、同じくNorth Woburnに住んでいたLoammi Baldwin(Middlesex Canalの工事に尽力した)とともに、しばしば10マイル歩いて、Harvard CollegeのJohn Winthrop教授の講義を聞きに行ったという。
Jack’s Diner
1952年にWorcester Lunch Car Companyにより製造されたダイナー。SomervilleのRosebudと同じ会社によるダイナーである現在はタイ料理店となっている。