Randolph
Holbrook
Dedham
Braintree
Sharon
Stoughton
Canton
Cohasset
Weymouth
Needham
Wellesley
Randolph
ボストンの南約25kmほどに位置する人口約35,000人の市。もとはCochato族によりCochaticquomと呼ばれていた。1793年にBraintreeより分離。 Continental Congressの最初のリーダー・Peyton Randolphにちなんで町名が名付けられた。1950年代にはDorchesterやMattapanから移住してくるユダヤ人が増加した。住民の41.6%は白人、 38.3%がアフリカ系、12.4%がアジア系、6.4%がヒスパニック系である。世帯年収の中央値は、2018-22年で$94,905。公共交通機関にはコミュータレールのHolbrook/Randolph Stationの他、Bus 238、240がある。

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Stetson Hall
1842年に建てられたGreek Revival styleの建物で、1995年までTown Hall、市役所として使用された。。Amasa Stetsonの資金提供によって建てられ、Town Hallの他にアカデミーやRandolph National Bankも入居していた。現在の建物は1937年に建てられた5代目でColonial Revival style。

Jonathan Belcher House
1806年、Jonathan Belcherと妻Abigailのために建てられた家。のちに孫娘のAbigail Tower Tarbellにより1911年にThe Ladies Library Associationに寄付された。現在は結婚式場やイベント会場として使われている。

Holbrook
ボストンの南約25kmほどに位置する人口約11,000ほどの町。1710年より植民が始まり、当初はBraintreeの一部であった。ついでRandolphが部独立した際にその一部となりEast Randolphと呼ばれていたが、1871年にStetson Hallに円蓋屋根を置くかどうかで意見が対立し、1872年に独立した町となった。18-19世紀は農業、靴工業が主な産業であったが、次第にボストンへの通勤者が住む町へと変貌していった。町名は、Town Hallと図書館の建設費を寄付したElisha N. Holbrookにちなんでつけられている。1982年には町内の化学工場のために環境汚染が進んでいたが、多額の資金を投じたEPA (Environmental Protection Agency)の環境改善プロジェクトにより、1997年には汚染は解消している。人口の75%は白人、11.5%がアフリカ系である。世帯年収の中央値は$107,768。公共交通機関としては、コミュータレールのHolbrook/Randolph StationがRandolphとの境界にあるほか、Bus 230がQuincy Centerとの間を結んでいる。

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Holbrook Square Historic District
中心街にある歴史地区で、お互い隣接する3つの建物からなる。
Winthrop Congregational Churchは、もともとSecond Randolph Church (またはEast Parishともいう)から分派したグループが1857-8年に最初の教会を設立したもの。1874年に残りのEast Parishのメンバーもこちらに再合流している。現在の教会は1877年の火災の後、1878-80年にStick styleにて再建したもの。

Town Hallは1872年に教会の隣に建てられたが、1877年の火災で教会と共に焼失。1878-9年にGothic Revival styleで再建された。John Lyman Faxonの設計、Norcross Brothersの施工である。1881年にTown Hallに隣接する形でPanel Brick式のFire Stationが建てられている。現在は南へ1km離れた場所に新しい消防署があり、1881年のものは使用されていない。

Roberts School
1873年に建てられた学校。一教室しかない。町で最初の学校であり、1979年まで校舎として使用された。現在はHolbrook Historical Societyのオフィスとなっている。

Dedham
ボストンの南西15kmに位置する人口約25,000人の町。Nolfork郡の郡庁所在地。1635年にイングランドから最初の移民が到着、1636年に独立した町となった。1798年にはDavid Brownに率いられたグループが反連邦運動を行っている。19世紀には政教分離がすすめられた。2019-23の世帯年収の中央値は$124,375。公共交通機関としては、WatertownからのBus 52、Forest HillsからのBus 34, 35がDedham Mallに到達。Bus 34Eは町内を抜けて南のWalpoleに向かう。また、コミュータレールのFranklin/Foxboro LineのEndicottとDedham Corp. Centerの2駅がある。いずれも町の中心からはやや離れている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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Fairbanks House
1641年頃、ピューリタンの移民Jonathan Fairbanksにより建てられた家。20世紀にいたるまで8代にわたりFairbanks家により所有されており、1895年に一度売却されたものの、再度Fairbanks家により買い戻され、現在は博物館となっている。

Endicott Estate
1904年に靴メーカーEndicott Johnson Corporationの創業者Henry Bradford Endicottにより建てられたhomesteadで、15エーカーもの敷地を有していた。屋敷は3階建てで、バスルーム9部屋、寝室8部屋、音楽室、図書室などがあった。1920年に彼が死んだあとは、妻を経て娘のKatherineの手にわたり、彼女は1967年に死んだときにここを町に寄付した。町は州知事の住居として提供。しかし1969年には知事公館としての使用は断念され、現在は町のイベント、会議、結婚式場など様々な用途に使われている。

Ames Schoolhouse
1897年に建てられたColonial Revival styleの学校。Dedham生まれで独立戦争時代の政治家Fisher Amesにちなんで名付けられた。現在はTown Hallとして使われている。

Dedham Village Historic District
町の創設時からの中心街であり、歴史的建造物が多く集まっている。
下は1927年にできた現在はアパートメントとなっている建物。Colonial RevivalおよびGeorgian Revival style。もとは教会だったようだ。

次は元のNeedham Bankの支店で、1947年に建てられたもの。Colonial RevivalおよびNeoclassical style。現在はオフィスなどに使われている。

次はDedham K of C Buildingで1897年の建物。’K of C’とはKnights of Columbusの略で、1882年にConneticutのNew Havenで結成されたカトリック団体である。1920年にDedham Council #234 (234番目の評議会)がこのビルを買い取った。現在も1階部分は商業スペースとなっているが、上階はK of Cが使用している。

旧Dedham Institution for Savingsの建物は、Hartwell and Richardsonにより1891-2年に建てられた。Romanesque Revival style。現在はオフィススペースとして使われている。

Dedham Museum and Archive (Dedham Historical Society)の建物は、1886-8年に建てられた。Romanesque Revival style。設計はEdwin J. Lewis Jr.。1870年代からここに店を開いていたJeremiah Shuttleworthの娘Hannah Shuttleworthが、Dedham Historical Societyの事務所として自身の土地と建設費を寄付した。

Dedham District Courtは1938年の建築。Cram and Fergusonの設計によりIndianaの石灰岩、花崗岩、レンガを使って建てられた。Dedhamの他、Dover, Medfield, Needham, Norwood, Wellesley, Westwoodのための裁判所として機能している。

郡のRegistry of Deedsの歴史は1793年にさかのぼる。現在の建物は1905年に建てられた、Peabody and Stearnsの設計によるBeaux-Arts Classical Revival styleである。

Norfolk Mutual Fire Insurance Buildingは1846年に建てられ、Dedham National Bankや各種保険会社が入居していた。Italian Renaissance revival-style。Dedham Institution for Savingsも自社ビルを持つまで使用していた。現在はオフィススペースとなっている。

Dedham Public Libraryは1854年に設立された。現在の建物は1886-8年にVan Brunt & Howeの設計により建てられた。Richardsonian Romanesque style。

First Church and Parish in Dedhamは1638年に組織され、1768年に現在の教会が建てられた。Federal style。

Pillar of LibertyはDedhamの歴史の重要な一幕を担ったもので、1765年の英国の切手条例の撤回を祝って、Sons of Libertyのメンバーたちによって1766年に建てられた。1769年に英国が再び課税を試みた際に破壊されたが、礎石だけは現在も残った。

北面には英語で
The Pillar of Liberty
To the Honor of William Pitt Esqr
& other Patriots who saved
America from impending slavery
and confirmed our most loyal Affections
to King George III by pro
curing the repeal of the Stamp Act
18th March 1766
西面にはラテン語の碑文があり、写真手前のプレートは1886年につけられたもので
THIS STONE WAS FIRST
PLACED NEAR THIS SPOT
JULY 22, 1766. IT SUPPORTED
A WOODEN COLUMN SURMOUNTED
BY A BUST OF WILLIAM PITT.
BOTH COLUMN AND BUST
DISAPPEARED ABOUT THE
CLOSE OF THE LAST CENTURY.
THE STONE WAS
REMOVED FROM THE OPPOSITE
CORNER IN 1886
と書いてある。
Dedham Community Houseは、もともとSamuel Haven判事のためにCharles Bulfinchの設計により1798年に建てられたものである。Nathaniel Hawthorne、Abraham Lincolnを含め、多くの著名人が訪れたことで有名。

Allin Congregational Churchは1818年、First Church and Parish in DedhamからBaker v. Falesとも呼ばれる訴訟事件を経て分派したメンバーによって建てられた。Greek Revival style.

Dedham Commonは1635-6の町の創設時に設定され、1639年には16-60歳の男性が民兵として訓練を受けている。

Old Village Cemeteryは1636年に設立され、初期の移民が埋葬されている。

St Paul’s Churchは1758年に設立され、1858年にArthur Gilmanの設計によりGothic Revival styleの教会が建てられた。Dedham産の花崗岩が使用されている。

Dedham Community Theaterは1927年の建築。Colonial Revival/Revivalist styleである。

Horse Thieves Tavernは18世紀後半から19世紀初頭に建てられた。馬泥棒や他の危険事態に関する情報が共有される場所だったとされる。

Norfolk County Courthouse
1825-7年に建設されたGreek Revival styleの裁判所。Solomon Willardの設計。完成後、Paul Revereの製造したベルが旧裁判所より移設されている。Sacco and Vanzetti強盗殺人事件の容疑者2名に死刑判決を下したことで知られている。

Braintree
ボストンの南約18kmに位置する市。人口は約39,000人。1635年に植民が始まり、1640年に町となった。もとは広大なエリアを含んでおり、のちにQuincy (1792)、Randolph (1793)、Holbrook (1872)が分離している。人口の約94%が白人。2023年の世帯年収の中央値は$125,305。Braintree駅はRed Lineの終点であるが、コミューターレールの駅でもある。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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Gen. Sylvanus Thayer House
1720年に Nathaniel Thayerにより建てられた。1785年、「West Pointの父」とSylvanus Thayerがここで生まれた。Saltboxの屋根を持つ。

Thayer Public Library
1874年に建てられたRenaissance styleの図書館。Sylvanus Thayerにちなんで名付けられた。1953年以降は水道局によって使用されていたが、現在は使われていない。

All Souls Church
1905年に建てられたEnglish Revival styleの教会。Edwin J. Lewis Jr.のよる設計で、Braintreeで最初の石造りの教会である。

Sharon
ボストンから南西へ約27kmに位置する人口約19,000人の町。1637年に入植が始まり、1740年にStoughtonの一部となった。1775年にStoughtonham として独立、1783年にSharonと名前を変更。名前の由来はイスラエルのSharon plain。2022年の世帯年収の中央値は$181,545。公共交通機関はProvidence/Stoughton Lineの本線(Boston-Providence)にSharon駅があるのみ。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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Sharon Historic District
中心街であるPost Office Squareを主とする歴史地区。







Charles R. Wilber School
1921-2年に建てられた小学校。1928-9年に拡張され高校となった。Colonial/Classical Revival styleで、現在は集合住宅となっている。

Stoughton
ボストンから南へ約27km、プロヴィデンスからは北に50kmに位置する人口29,000人ほどの町。1713年に入植が始まり、1726年に町となった。当初はSharon、Canton、Avonなどを含む広大な領域であった。町の名前は、Salemの魔女裁判で被告に有罪判決を下したことで知られるWilliam Stoughtonからとられた。2022年の世帯年収の中央値は$98,145。公共交通機関はStoughton Lineがメインだが、土日祝は運休。そのほかBrocktonを中心とするローカルバスBrockton Area Transit (BAT)も走っている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

Stoughton Station
詳細はStoughton Stationを参照。

Lucius Clapp Memorial
1903年に建てられた図書館。Renaissance Revival style。Walter Athertonにより設計され、町の教師・実業家のLucius Clappにより寄付された。現在はStoughton歴史協会が使用している。

Canton
ボストンから南へ約24kmに位置する人口 24,000人ほどの町。Paleo-Indiansの人々が12,140年前から住んでいた地域で、1600年代にはマサチューセッツ族が季節的に居住していたが、1630-70年代のピューリタンの入植で追いやられてしまっている。町が設立されたのは1797年、Stoughtonから分離して独立した。町名の由来については、中国の広東が地球の裏側にあると信じられていたからという説がある。実際にはどちらも北半球にあるので対蹠地ではない。町の北側と東西には広大な緑地と池が保護されて残っている。2022年の世帯年収の中央値は$130,134。公共交通機関としては、コミュータレールのProvidence/Stoughton Lineがあるが、土日祝日にはCanton Center・Stoughton方面の枝線は運行されない。他にBus 716があるが、行先がMattapanなので利用がややためらわれるところである。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

Canton Viaduct
1834-5年にBoston and Providence Railroad のために建設された高架橋。長さ187メートル、高さ21メートルで、完成時には世界最大の高架橋であった。Canton Riverを渡るアーチ橋で、14,483立方フィートの花崗岩が使われた。アムトラックの北東回廊を走る幹線、MBTAのProvidence Lineにより現在も交通の大動脈を担っている。



動画。
Redman Farm House
1795年に建てられた家。Robert Redmanは1722年にこの土地を原住民から譲渡されたとされる。

Canton Corner Historic District
Canton Junctionの近くにあり、18世紀に開発の中心が町の北東部から南西に移ることにより形成された。古い家も多く残るが、その建築年代は250年にもわたるという。




Cohasset
ボストンの南東約20kmに位置する人口8,300人ほどの町。もとはPokanoket族が住んでおり、のちにWampanoag、ついでMassachusett に征服されていた。西洋人の進出は1614年のJohn Smithの探検が始まりであり、1630-70年代にかけて隣のHinghamの地主による土地の占有が進んだ。1770年に町としてHinghamから独立。住民の96%が白人である。2022年の世帯年収の中央値は$178,013という。公共交通機関はコミューターレールのGreenbush Lineのみであり、Cohasset駅は中心街から3kmも離れた場所にある。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

街の動画。
Cohasset Common Historic District
文字通りCohasset Commonを中心とする歴史地区で、中心街の一部といえる。





Pratt Historic Building
1903年に個人の寄付によりPaul Pratt Memorial Libraryとして建てられた。現在はCohasset歴史協会の事務所として使われている。

Caleb Lothrop House
1821年に建てられたFederal stylingの家で、端がレンガ壁になっているのは町で唯一であるという。Calep Lothropは独立戦争の指揮官の孫で、最初期の移民の子孫でもあった。

Government Island Historic District
町の東側、Cohasset湾が内陸に入り込んでいるエリア。Minot’s Ledge Lightの陸上の拠点として使われていた場所で、元の灯台守の家も保存されている。現在は海水浴場としてにぎわう。






Capt. John Wilson House and Bates Ship Chandlery
Wilson HouseとBates Ship Chandlery (船具倉庫)の2件が並んでいる。前者は1810年に建てられたもので、WilsonはCohassetで船を操る船長だった。後者は1754年に建てられたとされ、もとは海沿い(Bates Wharf)にあったが1957年に現在地に移された。現在はCohasset歴史協会により管理されている。


Cohasset Central Cemetery
1705年から使用されている墓地。最初期の移民・Ibrook&Margaret Tower夫妻、Sarah Prattらが埋葬されている。

Weymouth
ボストンの南約20kmに位置する人口57,000人ほどの市。Plymouthについでマサチューセッツでは2番目に早く植民が始まった(1622年)。名前の由来については、イングランドの同名の町であるという説と探検家George Weymouthからとられているという説がある。2022年の世帯年収の中央値は$95,879という。西側のWeymouth Landing、東側のEast Weymouthにはコミューターレール・Greenbush Lineの駅があり、バス路線としてはQuincy Centerへ向かう222と225が利用できる。南側のSouth WeymouthにはKingston Lineが通り、Bus 226も利用できる。海に面するNorth Weymouthは、鉄道のある南側からアプローチするにはやや不便だが、Quincy CenterとHinghamの街を結ぶBus 220が通っている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。


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United States Post Office-Weymouth Landing
Weymouth Landingにある郵便局。1941年の建設。

Old South Union Church
1721年にSouth Weymouthに会衆派が形成され、1785年に最初の教会が建てられた。現在の教会は、1853-4年に建てられたものが1989年に火事で焼失し、これを復元したもの。Greek Revival style。

Fogg Library
1897年に建てられたRenaissance Revival styleの図書館。 Cutting, Carleton & Cuttingの設計。地元の実業家John S. Foggの寄付で建設され、Weymotuh Public LibraryのSouth Weymouth地区における分館として使用されている。

Fogg Building
1887年に建てられたRichardsonian Romanesque styleのビル。地元の実業家John FoggによりJ. Williams Bealの設計で建設された。もとはパフォーマンスや集会の場所などとして使用されていたが、現在はアパートメントとなっている。

Pond Street School
1928年に建てられたColonial Revival styleの学校。1964年に初代校長の名にちなんでAlice E. Fulton Schoolと改称、1991年まで小学校として使われた。

Sea Street Historic District
North Weymouth地区の300年の歴史が集約されている地区とされる。SEA STREET HISTORIC DISTRICTも参照。





John Adams School
1855年に建てられたWeymouthで最初の学校。Greek Revival/Italianate style。

Weymouth Meeting House Historic District
First Church in Weymouthを中心とする歴史地区。1723年までは市の中心であり、1833年まではNorth Weymouth地区の中心であった。




Weymouth Civic District
Town Hallを中心とする歴史地区。




Jefferson School
1889年に建てられたQueen Anne styleの学校。Washington Schoolと同じくShepard S. Woodcockの設計。

Central Square Historic District
1850-70年にかけて建てられた靴職人たちの家が残っているとされる。この時代には靴製造は手工業であり、この地域に小規模な製造業者が集まっていた。East WeymouthからWeymouth Landingに向かう途中にあるエリア。



Needham
ボストンの南西18kmほどに位置する人口約32,000人の町。1681年、ネイティブ・アメリカン部族のリーダーNehoiden から土地を買収して開拓が始まった。1711年にDedhamから分離して成立。1881年に西側がWellesleyとして分離している。町の名前は、イングランドのNeedham Marketからとられた。2022年の世帯年収の中央値は$206,261とされる。交通機関としては、Watertown SquareからNewtonを抜けてやってくるBus 59、およびSouth Stationから伸びているコミューターレールのNeedham Lineがあり、駅は4つ設置されている。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

Emery Grover Building
1898年に町で最初の高校として建てられた。Renaissance Revival style。Emery Groverは法律家・判事であり、行政委員、教育委員会のメンバーとしても長く活躍した。現在は町の公立学校の事務局となっている。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。

Needham Town Hall Historic District
Town Hallを中心とする歴史地区。Town Hallは1902年建築で、Winslow & Bigelowの設計。このあたりが現在の町の中心であり、商店や教会が多く集まる。


Kingsbury-Whitaker House
1720年頃にDeacon Timothy Kingsburyにより建てられた。彼はNeedham設立のリーダーであった。1839年に彼の子孫がEdgar Whitakerに家を売却、Whitakerは家を大きく改装した。彼はボストンの実業家で、地元の政治でも活躍している。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。

Davis Mills House
1834年に建てられたGreek Revival styleの家。Davis Millsは町の大地主の一族で、精肉業者、タバーン経営者でもあり、政治的活動も行った人物。詳細はNeedham History Center & Museumを参照。

Robert Fuller House
1707年に建てられたFirst Period styleの家で、Needhamでは最古のものとされる。Saltbox様式(片側が低い)の屋根を持つ。Robert Fullerは最初期の移民の一人。

Wellesley
ボストンの西20kmほどに位置する、人口約29,550人の町。1600年代にDedhamの一部として入植が始まり、のちにNeedhamの一部となった。1881年に町として独立。交通機関としては、コミューターレールのFramingham/Worcester Lineの駅が3つあり、MWRTAのバスも走っている。世帯年収は中央値で$250,000 (2022)と高値である。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

Wellesley Town Hall
1881-6年に建てられたRomanesque styleの役場。Shaw & Hunnewellの設計。土地はH. H. Hunnewellにより寄付されたもの。

Wellesley Congregational Church and Cemetery
1918-22年に建てられたGeorgian Revival styleの教会。Carrère and Hastingsの設計。この地に建つ教会としては4代目となる。Wellesley Sqのランドマーク。

Fuller Brook Park
1899年に線状の公園として設立され、1930年代に完成した。John Charles Olmstedによるデザイン。

Wellesley Hills Branch Library
Wellesley Hills地区にある図書館の分館で、1928年に完成した。

Intermediate Building
1894年、Hartwell and Richardsonの設計により建てられたRomanesque stylingのビル。Wellesley Hills地区にある。Wellesley高校の初代の建物であり、のちに町役場の別館、現在はシニア層のためのアパートメントになっている。

Elm Park and Isaac Sprague Memorial Tower
Wellesley Hillsにある公園で、1928年に建てられた時計塔・Sprague Towerがある。塔の上にある鐘は1874年のもの。Isaac Spragueは塔の建設委員会のメンバーで、資材を提供した人物。


Eaton-Moulton Mill
Wellesley Lower Falls区域にある工場。1853年頃に建てられ、製紙機械を製造していた。このエリアは18-19世紀、隣にあるNewton Lower Fallsとともに製糸工業が盛んであった。現在はオフィスビルとして使用されている。
