札沼線 – 今と昔

旧国鉄札沼線は、札幌-石狩沼田間、石狩川の右岸を走る路線だった。
左岸には大動脈・函館本線がいち早く開通していたが、昭和初期までは石狩川を渡ることが大変だったことから、鉄道の必要性が叫ばれて敷設。
しかし、1972年には新十津川-石狩沼田の区間を廃止、北海道医療大学-新十津川の区間は2020年に廃止された。桑園-北海道医療大学間は電化され、都市交通として頻回の列車がある。


廃止区間では、月形、浦臼、新十津川、雨竜、北竜において鉄道が消滅。
当別-月形-浦臼は下段モータース・月形当別線、美唄自動車学校・月形浦臼線、浦臼-新十津川は中央バス・滝川浦臼線、新十津川-北竜は中央バス・滝川北竜線(2022年廃止)といったバス路線で代替されている。
函館本線・国道12号線との連絡としては、ニューしのつバス・江別月形線(月形-江別)、中央バス・月形線(月形-岩見沢)、浦臼町営バス(浦臼-奈井江)、滝新線(新十津川-滝川)、深滝線(雨竜-滝川・深川)、北竜線(北竜-深川)がある。

私は1980年頃に札沼線・桑園-新十津川間を2度、完乗しており、そのときの記録を残していた(といっても小学生の作文。。。)。このページでは、当時の記載をたどりながら、廃止後の2021年の様子も収録していく。

札幌駅を出発。昔の作文では「4りょうへんせいでディーゼルカーで中はがらあきでした」とある。今は6両編成の電車が主体。時間帯にもよるが「がらあき」ということはない。

桑園で函館本線とわかれ、「新琴似」、「篠路」と進む。現在、桑園-新琴似駅間には、「八軒」、「新川」の2駅、新琴似-篠路間には「太平」、「百合が原」の2駅がある。次が「東篠路」、現在の「拓北」。ここまで駅前にバス停はない。最寄り停留所としては、以下のような感じか。

八軒駅 – 「八軒6条東2丁目」 (中央バス・西71)
新川駅 – 「北29条西15丁目」 (中央バス・北73)
新琴似駅 – 「新琴似駅前」 (中央バス・麻01など。駅前とはいうが少し離れている)
太平駅 – 「北49条東4丁目」 (中央バス・東17など。かなり離れている)
百合が原駅 – 「百合が原公園前」 (中央バス・麻27など)
篠路駅 – 「篠路駅前」 (中央バス・栄21など。駅前への乗り入れはない)
東篠路駅(拓北駅) – 「ひまわり団地」 (中央バス・栄20など。駅近くの踏切を渡る)

次の「釜谷臼」の前に、現在は「あいの里教育大」駅があり、釜谷臼駅そのものは「あいの里公園」駅と改称。両者ともバス停があり中央バス・栄20などが経由する。「釜谷臼」の起源はアイヌ語「カマヤ・ウシ」、「平たい岩のあるところ」だという(「北海道・駅名の起源」(1973))。

ここで作文は「ちょっといくと石かり川をわたりました」という。札幌を出て当別に入るのである。次の「石狩太美」駅の手前に、2022年3月に「ロイズタウン」駅が開業、石狩太美も単なる「太美」と改称した。そして「石狩当別」着。この駅で出発時の4両編成から後方2両を切り離すため、27分間停車した記載がみられる。後方2両に乗っていた人は前方に移動しなければならないが、座席がなくて困ったということはなかったようだ。石狩当別も2022年3月に「当別」と改称。昔は「渡島当別」駅や「日高東別」駅があって混同を防ぐ必要があったのだろうが、今ではその必要はなくなったということになる。

札沼線の現在の終点は「北海道医療大学」駅。この駅ができたのは1981年なので、作文には記載がない。当時、石狩当別の次は「石狩金沢」駅だった。今では廃線区間であり、月形までの間、代替バス・月形当別線が走る。

07/04/2021

「金沢」の由来にはいくつか説があるが、いずれも加賀の金沢に関連するという(wikipedia)。最寄りのバス停は「金沢会館前」。

次が「本中小屋」。「玄米酵素中央研究所前」が最も近いバス停。

07/03/2021
07/03/2021
07/03/2021
07/03/2021

中小屋。かつては小中学校もあった。「中小屋郵便局前」が最寄り停留所。

07/03/2021
07/03/2021

次は「月ヶ岡」。あたりには何もないが、駅跡はきれいに整備され、代替バスの時間調整にも使われる。「知来乙」には代替バスのバス停はないが、ニューしのつバス・江別月形線の「知来乙入口」という停留所がある。そして「石狩月形」駅。廃止後もバスターミナルのように使われているが、今後は駅舎・ホームともに撤去されるようである(月形町札沼線鉄道跡地活用の基本方針(素案))。なお、ここから先の代替バスは月形浦臼線となる。

06/19/2021
06/19/2021
06/19/2021
06/19/2021

次は「豊ヶ岡」。作文では「ホームのむこうはがけでした」とある。国道からかなり離れ、林の奥に隠れているような駅。当時からひっそりとしていたが、なんと「人が一人のって五人位おりていきました」という。「道がついていたのです。この道をいくと町に出られるとおじいちゃんがおしえてくれました」と書いているものの、歩いて国道に出るのも一苦労だし、今はそこに市街地はない。昔はどうだったのか。

豊ヶ岡付近の農地 (07/25/2021)
豊ヶ岡近くの道路 (07/25/2021) – バスベイではないと思うが。。
豊ヶ岡駅を見下ろす (07/25/2021)
豊ヶ岡駅を見下ろす (07/25/2021)
豊ヶ岡駅 (07/25/2021)
豊ヶ岡駅 (07/25/2021)

「札比内」駅跡。最寄りのバス停は「札比内市街」。

「晩生内」駅から浦臼町に入る。バス停は「晩生内市街」。

08/21/2021

「札的」駅。バス停は離れているが「南札的」というものがある。

08/21/2021 – 指が。。。

「浦臼」駅。「まわりはいえ、田、畑でした。たまにじんじゃが見えました」とのこと。代替バス・月形浦臼線はここで終わり、中央バス・滝川浦臼線が後を引き継ぐ。

浦臼駅付近 (07/25/2021)
浦臼駅のポスター (08/21/2021) – ここは坂本龍馬一族のゆかりの地。

「鶴沼」駅。「一つぬまがありました」という。鶴はいなかったし、祖父も見たことがないと言っていた。最寄りのバス停は「鶴沼市街」。

08/21/2021

このあたりにはかつて駅逓が設置されていたという。

08/21/2021

「於札内」(最寄りバス停も「於札内」)、「南下徳富」(同「9号線」)、「下徳富」(同「花月市街」)、「中徳富」(同「下一号線」)、「新十津川」(同「新十津川役場」)で終点。

「しんとつ川は小さなえきでえきいんが3人しかいませんでした」と。その後3人の駅員は早々に消えて、新十津川は無人駅のまま久しかったのだが。ついでに私はご丁寧にも「キハ40191」「キハ22201」と車両のタイプまで記録していた。

札幌への帰りは滝川から函館本線経由だったが、新十津川-滝川間について「バスはこんでいました」という。2021年に数回乗った時には自分しか乗客はいなかった。

そして今、そこにはもう何もない。

たぶん2回目に乗車したときの切符の半券