Abington
Rockland
Scituate
Hull
Hingham
Abington
ボストンの南約30kmに位置する人口約17,000人の町。最初の移民は1668年に行われ、1712年に独立した町となった。町名はMontagu Venables-Bertie (第2代Abingdon伯爵)の妻Anneへの敬意をこめて、Joseph Dudley知事により名付けられた。’Abingdon’ではなく’Abington’となった理由は定かではないが、マサチューセッツにはLexington、Arlingtonなど’ton’の地名が多かったため、自然にそうなったとも言われる。住民の92.5%が白人。2019-23の世帯年収の中央値は$119,787。公共交通機関としてはコミュータレールのKingston Lineの駅がある。

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North Abington Depot
Abington駅の北約3kmに位置するかつてのNew York, New Haven and Hartford Railroad鉄道の駅。1893年にBradford Lee Gilbertにより設計されたRichardsonian Romanesque styleの建物である。建築が始まってまもなく、鉄道建設の労働者と地元住民のあいだに、ストリートカーが線路を横切ってよいかどうかをめぐって “North Abington Riot”と呼ばれる争いが起こった。現在はレストランとして営業中。Plymouth/Kingston Lineがすぐそばを通るが、もう駅ではないので停車することはない。



Island Grove Park National Register District
Island Groveは、1700年頃にShumatuscacant Riverをせき止めてできたIsland Grove Pondに隣接する。反黒人奴隷運動の拠点として知られ、1846年、William Lloyd Garrisonに率いられたアクティビストたちがここで集会を行った。多くの町民たちはこの運動に反対であり、運動を妨害したりしていた。このような集会は’picnic’と呼ばれ、1865年まで繰り返し行われている。

Island Grove PondにかかるMemorial Arch and Bridgeは、Abington Sons of Union Veterans of the Civil Warの資金、J. Williams Bealの設計により1912年に建設された。Abolitionistの活動とCivil WarでのAbingtonの兵士たちの双方を記念している。


Rockland
ボストンの南約30kmに位置する人口約18,000人の町。同名のメイン州の町のほうがMaine Lobster Festivalなどで有名であり、私もそちらには2000年代に行ったことがある。1673年、隣のAbingtonから移住者がきたのが始まり。1874年にAbingtonから分離した。Civil Warの前まではScituateなどの造船所に木材を供給していた。19世紀には靴工業や材木の生産が栄えた。住民の91%が白人。世帯年収の中央値は、2019-23年で$101,475。MBTAの便はまったくないが、Boston-Plymouthを結ぶ路線バスが停車する。ちなみにKingston LineのAbington駅からは3kmほどの距離である。かつてはNorth Abington Depotを起点とするHanover Branch Railroadがあった。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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Rockland Almshouse
1876年にできた救貧院で、1979年まで貧困層の住宅を提供していた。現在は障害を持つ子供や若者の教育機関となっている。

Emerson Shoe Company
1891年頃にHall, Gallagher & Foulke’s Shoe Companyにより建てられ、1906、1909、1916年に拡張を繰り返した靴工場。1906年にR.B. Grover & Companyが買収し、”Emerson shoe”のブランドで知られた。1980-90年代には’Codman Building’として30-40人の芸術家の拠点となっていたが、2006年に閉鎖。現在は住居用に使用されている。

Grand Army of the Republic Hall
1899年にGrand Army of the Republicのメンバーたちにより建てられ、Civil WarにおけるUnion Army退役兵の記念館となった。現在はSons of Union Veterans of the Civil WarのGen. George L. Hartsuff Camp No. 50の集会所として使用されている。

Rockland Trust Company
1907年に設立された銀行で、1917年にThomas M. Jamesの設計により自社ビルを建てた。1923年、1947年に増築が行われ、2008年までは銀行の本店であった。

Phoenix Building
1929年に建てられたClassical Revival styleの商業ビルで、Blackall, Clapp & Whittemoreの設計。

Rockland Memorial Library
1903年にカーネギーの資金提供により建てられたClassical Revival styleの図書館。McLean & Wrightの設計。Rocklandの図書館の歴史は1833年のAbington時代にさかのぼるが、1890年に火事で焼失したため、新たに建設したものである。

Rockland High School
1909年に町で2番目の高校として建てられたColonial Revival styleの校舎で、1928年まで使用された。現在はコミュニティセンターとなっている。

Scituate
ボストンの南東約35kmに位置する海沿いの町。人口は約19,000人。Wampanoag族などが数千年にわたり住んでいた土地で、町の名も’Satuit’ (冷たい小川)から転じたものである。1627年、Plymouth植民地からの移住者が住みつき、1636年に独立した町となっている。当初は広大な領域を有し、18-19世紀にかけてHanover, Marshfield, Norwellの各町が独立している。2019-23年の世帯年収の中央値は$126,379。公共交通機関は、Commuter RailのGreenbush Lineが主体で、終点Greenbush駅とNorth Scituate駅がある。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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First Baptist Church of Scituate
この教会はScituate Centerから離れ、North Scituateに位置している。1869-70年にShepard S. Woodcockの設計により建てられた。Victorian styling。

WPA Field House and Pump Station
North Scituateに位置する。Works Progress Administrationにより、1938-9年に治水設備およびリクリエーション施設として建てられた。

First Trinitarian Congregational Church
会衆が組織されたのは1634年、宗教観の違いから1825年にUnitarianとTrinitarianに分かれ、後者が1826年に教会を建てた(Scituateの街歩き)。前者は1881年にFirst Parish Church of Scituateを建てている。

Lawson Tower
1902年、 Scituate Water Companyにより建てられた貯水塔。当時ボストンの実業家Thomas W. Lawsonが”Dreamwold” と称する荘園をつくろうとしており、景観のために塔を建てて貯水タンクを収容するよう求めた。1988年まで給水施設として使用された。

Men of Kent Cemetery
1628年に設立されたとされる墓地で、初期の移民が葬られている。1636年に町で最初の集会所ができた場所でもある。名前の由来はイングランドのKent郡からの移民が多かったことによる。

Capt. Benjamin James House
1700年頃に建てられたFirst Periodの家。Saltboxの屋根を持つ。Captain Benjamin Jamesの死後は、天然痘患者の隔離所として使われた。現在は海事およびIrish Mossing (海草の一種)の博物館となっている。

Woodworth House
この家のもっとも古い部分は1675年頃にさかのぼる。1826年にCape styleの部分が加えられた。1817年にSamuel Woodworthが敷地内の井戸について書いた”The Old Oaken Bucket”という詩によって知られ、IndianaとPerdueの両大学によって争われるフットボールのトロフィの名の由来ともなっている。

Hull
ボストンの南東、Boston Harborの南側の半島を占める人口10,000人ほどの町。Nantasket Beachがあることで有名。Massachuset族はこの地を瀬戸・干潮を意味するNantasketと呼んでいた。1622年に入植が始まり1644年に町となる。1776年には”Fort Independence”が建設され、1778年にはBenjamin Lincolnの指揮下でボストンからの救出作戦が行われる。また、歴史上、海難救助において大きな役割を果たしている。2023年の世帯年収の中央値は$127,112。公共交通機関はHinham DepotからのBus 714のみであるが、休日でも1時間に1本ほどと便は良い。2024年夏に間違ってBus 714に乗ってしまい、このときはそのまま折り返したが、2025年に入ってから再訪した。なお1980年まではボストンからの船便があり、1932年まではSouth Shore RRの支線(Greenbush Lineの歴史を参照)が走っていた。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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Point Allerton Lifesaving Station
1889年に建てられた救命ステーション。Queen Anne style。最初のリーダーは地元出身のJoshua Jamesであった。現在はHull Life Saving Museumとなっている。



Telegraph Hill
1775年頃にGeneral Joseph Palmerによりフランス式の要塞が建設され、1777年には15の砲と軍病院があった。ボストン港およびNantasket航路の防衛が主な役割であった。1827年にTelegraph Tower (通信塔)が建てられ、1898-1906年には砲台も建設された。第一次世界大戦中にはヨーロッパに送る兵士の訓練所として使用された。第二次世界大戦中も拡張され、現在はFort Revere Parkとして保存されている。



Paragon Park Carousel
Paragon ParkはNantasket Beachにあった遊園地で、Philadelphia Toboggan Coastersによりつくられた観覧車、dark ride、ジェットコースターなど様々なアミューズメントがあった。1902年にオープン、1984年に閉園している。施設はこのCarousel(メリーゴーラウンド)を除き、すべて撤去されてしまっている。




Hingham
ボストンから南東に約20kmに位置する人口約24,000人の町。1633年に入植が始まったときは”Bare Cove”(むき出しの入り江)と呼ばれていた。1635年に町として独立。イングランドのHinghamからの移民が多かったことにより、町名が決まった。初期の移民の中には、Abraham Lincolnの祖先にあたるSamuel Lincolnがいる。2022年の世帯年収の中央値は$204,946。公共交通機関としてはGreenbush Lineが利用できるほか、Quincy Centerへ向かうBus 220が北部を通っている。HullにあるNantasket Beachへ向かうBus 714もHinghamが起点である。NRHPはWikipediaのリストに載っている。

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Old Ship Church
1681年に建てられたピューリタンの教会で、米国に現存する唯一の17世紀の同派の集会所とされる。English Gothic style。初代牧師はPeter Hobart、1679年に死ぬまで44年間務めた。敷地内には1912年に、町の275周年記念に建てられたMemorial Bell Towerが建っている。


General Benjamin Lincoln House
1665年に建てられ、大陸軍の少将Benjamin Lincolnの生家として知られる。彼は独立戦争で活躍した後は、州副知事として働いた。



Lincoln Historic District
Hingham Squareから西へ伸びるNorth StとSouth Stに挟まれるエリア。Early Republic, Late Victorian, Colonial styleの家が多く残る。











Cushing Homestead
ニューイングランドに特徴的なSaltbox式の屋根のある家で、17世紀のEnglishおよび18世紀のGeorgian styleを併せ持っている。町職員のDaniel Cushingが1678年に息子のために建てた。彼の孫Capt. Peter CushingはBenjamin Lincolnのもとで独立戦争を戦っている。
